魚を獲ることしか知らなかった少年が
望まぬ運命の荒波に揉まれながらも必死で磨きあげてきた
銛(もり)——。
ようやく永い眠りから目が醒めた若い国家には
その銛を振るう以外の選択肢を
持ち合わせてはいなかった――。
それでも必要とされている二人(はじめての方へ)

後輩K:傍から見ていても「ちょっと高嶺過ぎじゃね?」な飲み屋のね~ちゃんにお熱を上げてる、ナイスガイ。いつか必要とされると信じて今宵もネオン街へ――。



けだま。:傍から見ていても「ちょっと将来性がないんじゃね?」なブログを運営してるナイスミドル。いつか必要とされると信じて今朝もPCの前へ――。
【ジョン万次郎の生涯】




前回までのおさらい



まさに徒手空拳で異国へ放り出された万次郎だったが、本人の努力、ホイットフィールド船長との出会いのおかげで、ようやく帰国の目途がついた――。
ってところまでが前回までの話だったな。今回はいよいよ帰国編だ。まだまだドラマが待ち受けてるぞ!



本人の血の滲むような鍛錬—
ホイットフィールド師匠との出会い―
そして、伝承された秘拳「徒手空拳!」
……??。
そんな話してましたっけ??
完全に初耳なんっすけど。
念願の帰国(万次郎24歳)
ゴールドラッシュで得た資金と帰国準備
1849年、アメリカではゴールドラッシュが始まっていました。一攫千金を夢見る人々が、金を求めてカリフォルニアへ押し寄せます。万次郎もその中に加わり、金を探して働きました。
そして、そこで得た資金をもとに、いよいよ念願だった日本への帰国を決意します。
漂流してから、実に10年。14歳で海へ投げ出された少年は、24歳になっていました。帰国するための資金も貯まり、準備が整いました。
あとは、日本へ向かうだけです――。
待ち受ける執拗な取り調べ
琉球上陸〜薩摩藩での尋問
1851年、万次郎はホノルルで再会した伝蔵、五右衛門とともに、ついに日本へ戻ってきました。10年ぶりに踏んだ日本の土は、現在の沖縄県糸満市にあたる、当時の琉球。
しかし、帰国を喜んでいる暇はありません。
3人は琉球の役人に連行され、これまでの漂流の経緯や、アメリカでの生活について取り調べを受けることになります。その後、薩摩藩へ送られた万次郎たちを待っていたのは、さらに詳しい尋問でした。
ただ、ここで少し意外な展開が待っていました。
薩摩藩主・島津斉彬は、西洋の文化や技術に強い関心を持っていたのです。万次郎は斉彬から海外の情勢や文化について直接質問を受け、さらに藩士や船大工たちに、航海術や洋式造船についても教えることになりました。
「異国から帰ってきた怪しい漂流者」
として扱われる一方で、その頭の中に詰まった海外の知識は、薩摩藩にとって貴重な情報でもあったのです。しかし、万次郎を待ち受ける取り調べは、これで終わりではありませんでした。
長崎奉行所でのさらなる取り調べ
薩摩での取り調べを終えた万次郎たちは、さらに長崎へ送られました。ここで待っていたのは、長崎奉行所による、さらなる取り調べでした。
海外で何を見て、何を学んだのか?アメリカでどんな暮らしをしていたのか?そして、キリスト教徒ではないのか?
万次郎たちは、奉行所で繰り返し尋問を受けることになります。その中では、踏み絵によってキリシタンではないことを確認されたとも伝えられています。土佐清水市の資料では、白州での尋問は18回に及んだとされています。
10年前、異国の地で「日本人だから」という理由で向けられた視線——。
そして今度は、日本に戻ってきた彼に「異国帰りだから」という理由で向けられる疑い――。
場所は変わっても、万次郎はまたしても、自分の知らない世界を生きてきた人間として扱われていました。
しかも、取り調べはこれで終わりではありません。ようやく帰ってきた故郷は、まだまだ遠い場所にありました――。



どこまで行っても「異邦人」…。
ジョン万次郎の数奇な人生を言い表すのなら、私はこの言葉が思い出されます。
それでも、時代は彼を必要としていた
長崎での取り調べを終えた万次郎は、ようやく故郷・土佐へ帰ることを許されました。漂流から実に11年。14歳で故郷を離れた少年は、25歳になっていました。そして土佐藩の取り調べを経て、郷土の母との再会。これで一件落着めでたしめでたしと思いきや、まだまだ運命の波は万次郎を漂流させるのです――。
運命の荒波の行きついた先は、思いもよらない役割でした。土佐藩は万次郎を士分に取り立て、高知城下の藩校「教授館」で英語を教えさせたのです。
つい先日まで「異国から帰ってきた男」として取り調べられていた万次郎が、今度は自らの経験を伝える側になったのです。
アメリカで学んだ英語。航海術や測量。そして、11年間にわたって自分の目で見てきた異国の暮らしや文化。それらは、鎖国の続く日本にとって、決して無駄な経験ではありませんでした。
教授館では、後に幕末の土佐を動かしていく後藤象二郎や岩崎弥太郎らも、万次郎から直接学んだとされています。
魚を獲ることしか知らなかった少年が、海の向こうで身につけたもの。それはいつしか、これから大きく変わろうとしていた日本にとって、貴重な知識となっていました。
そして、月日は巡り、嘉永6年(1853年)7月8日。その日が訪れたのです――。
次回予告(幕末編へ)
嘉永6年7月…。そんな万次郎の運命が大きく動くことになった――。
そう…。
太平の眠りを覚ます黒船の来航である。







