2500石の旗本はどれくらいリッチだったのか?小栗忠順の家計簿で検証

「2500石」の米俵から家臣の給金や屋敷の修繕、武具、物価高へ米が流れ出す浮世絵風イラスト

――2500石?旗本??大身???
――大河ドラマを観ながらも今更聞けない素朴な疑問——。
小栗忠順から見る2500石旗本のリアルを解説します。

2500超えの二人(はじめての方へ)

後輩K:マクドナルドにて、2500円以上食っても、「何か小腹空いたっすね!」と、のたまう鋼の胃袋の持ち主。

けだま。:X(旧Twitter)のポストにてインプレッション数が2500を越えてくるとドキドキしてくるガラスの心臓の持ち主。

記憶力皆無の後輩Kのために小栗忠順の復習

2027年放送の松坂桃李さん演じる小栗忠順の激動の生涯を描いた大河ドラマ『逆賊の幕臣』。にわかに注目を集めているこの維新前夜ですが、幕末の常識は現在の非常識!?

元々小栗家は2500石持ちの大身の旗本の家系。その家柄をバックボーンとし、幕政に辣腕を振るった忠順ですが、そもそも2500石って何?大身って何?旗本とは何ぞや?

今回はそんな幕末のあるある話を掘り下げて行こうと思います。

よし、来たな。先日小栗忠順の生涯について触れたが、小栗を語るに色々補助線引かないと、実情つかめないかと思ってな。

今日はそもそも小栗の懐事情について解説して行こうかと思———。

えっ!?おぐり…?ちゅう…。じゅん??
誰の話でしたっけ??

お前は!!何、デジャヴ感植え付けてるんだ!!
幕末に活躍した『逆賊の幕臣』こと小栗忠順(おぐりただまさ)だっつーの!
もう一度よく読んで復習しとけよ!

🔗【関連記事】2027年大河ドラマ『逆賊の幕臣』で主役に抜擢された小栗忠順。正直地味ながらも、調べれば調べるほど、凄い男であったと知りました。小栗の事績についてはこちらから。

目次

そもそも「2500石」って、結局いくらなの?

まず、よう分からんのが、2500石って単位っすね。

何すか?2500個の石って事っすか?

んなもん、普通に要らんっすわっ!!

あはは。石2500個なわけないだろ?大繁盛の漬物店じゃあるまいし。

話せばそれこそ記事一本分になっちゃうからざっくり言うと、ざっくり言えば、一年間で2500人分の食い扶持に相当する米の生産力を「2500石」と表していたんだ。

んな何人分の食い扶持とか聞いてねぇ!!

結局、現在の貨幣価値でいくらなんすか?

それこそざっくりでいいから教えて下さいよ!

『石』って結局何なのか?

「石(こく)」というのは、江戸時代に米の生産量を表すために使われた単位です。
1石は容量にして約180リットル、重さにするとおよそ150kgに相当します。

では「2500石」とは何なのか。
ざっくり言えば、一年間で2500人分の食い扶持をまかなえる米の生産力を表した数字、とイメージすると分かりやすいでしょう。

つまり小栗忠順の「2500石」とは、現代人の感覚で言えば「とにかく、ものすごい量の米を生み出す土地を持っていた」ということです。

……とはいえ、現代人としてはどうしても気になります。
「で、その米って結局いくらなの?」

実はこれ、簡単には答えが出ません。換算の基準にできるものが、複数あるからです。

・米そのものの価格で換算する
・当時の賃金水準を基準にする
・現代の生活水準と比較する

どれを採るかで、答えは大きく変わってしまいます。そもそも江戸時代と現代では、物価も給与体系も生活に必要なものもまったく違うので、「1石=現代の○円」と正確に決めることはできません。

それでも、規模感をつかむための「目安」なら出せます。たとえばある基準で1石を数十万円として試算すると、2500石は数億円規模。数字だけ見れば、とんでもない金額です。

ただし——ここが今回のポイントですが——この金額をそのまま「小栗忠順が自由に使えたお金」と考えると、実情を見誤ります。
石高は、現代の「年収」とはちょっと違う仕組みだからです。

では、そもそも石高とは、何を意味していたのでしょうか。

我が愛しの後輩Kのようにあった金全部使っちまう…。いつの時代もそんな刹那的生活は出来ないものです。(笑)

石高とは「年収」ではない

年収ウン億円って凄くねぇっすか!?現代のIT起業家じゃないっすか!!

これこれ。2500石=6250俵もの米俵をまるまる受け取れると勘違いしてないか?

例えば、お前の言ってたIT起業家だって売上ぜーんぶ使っちまったらすぐに税務調査入って追徴課税だろ?

お前のその、キリギリスマインドはもうやめろ!!アリになれ!!

そもそも、ここで一度整理しておきましょう。
「石高」という言葉に「石」という単位が入っているので、どうしても「2500石=米2500石をそのまま受け取る」ように感じてしまいます。

でも、そういう意味ではありません。

「石(こく)」はもともと米の量を表す単位で、1石は10斗、100升、約180リットルに相当します。
一方、「石高」は、土地がどれくらいの米を生産できるかを基準に、その土地の価値を米の量に換算して表したものです。

江戸時代の検地では、田畑の面積や土地の等級などをもとに生産力が算定され、村ごとの「村高」などが定められました。つまり「2500石」という数字は、単純に「2500石の米が倉庫に積んである」という意味ではなく、それだけの石高に相当する知行地を持っていたということなのです。

そして旗本の場合、その知行地から年貢を徴収する「知行取」という仕組みがありました。幕府から領地を与えられた家臣は、その領地から年貢を納めさせる「知行取」と説明されています。

つまり小栗忠順の「2500石」とは、
「小栗家が2500石の米を毎年そのまま受け取っていた」という話ではなく、
「2500石という石高を持つ知行地から、年貢などを通じて収入を得ていた」ということです。

現代なら、年収2500万円と聞けば、その金額がそのまま給与や事業所得として本人の収入になるイメージがあります。
ところが江戸時代の石高は、まず土地の生産力や家臣としての知行の規模を表す数字。

では、そこから実際にどれだけの収入が、どんな形で小栗家の懐に入ってきたのでしょうか。

2500石を現代の年収にすると、どのくらい?

では、ここまでの話を踏まえて、いよいよ一番気になるところです。
「じゃあ2500石って、現代の年収にするとどのくらいなの?」

結論から言えば、これは一つの金額に決めることができません。
江戸時代と現代では、物価も賃金も生活様式もまったく違うため、何を基準に換算するかによって、同じ「1石」でも現代の価値が大きく変わってしまうのです。

たとえば江戸東京博物館が紹介している資料では、江戸後期の金1両を、
・米価から換算すると、約5万5,000円
・大工見習いなどの賃金から換算すると、約30万円
という、実に5倍以上の開きが出ます。

「昔の1両は今の何円?」
という問いですら、基準によってここまで答えが変わるのです。

米価基準の低いレートで試算すれば2500石はそれなりの金額に、賃金基準の高いレートで試算すれば数億円規模に——採用する基準ひとつで、答えは軽く一桁近く変わってしまいます。

つまりこの記事では、「2500石=現代の年収○億円」と一つの数字に断定することはしません。基準によって数千万円規模にも、数億円規模にもなり得る、という幅を持った数字として捉えておくのが正確なところです。

ただし、どの基準を採ったとしても、一つだけ確かなことがあります。
それは、この金額がそのまま小栗家の「使えるお金」だったわけではない、ということ。

——では、実際のところ、2500石はどうやって小栗家の懐に入り、そして何に消えていったのか。
いよいよ、そこに踏み込んでいきましょう。

でも、2500石あっても「2500石を使える」わけじゃない

2500石――。

ここまで聞くと、
「小栗さん、めちゃくちゃ金持ちじゃん!!」
と思ってしまいますよね。

でも、ちょっと待ってください。
その2500石、全部小栗忠順が自由に使えたんでしょうか?

もちろん、そんな単純な話ではありません。

前の章でも触れたように、石高は現代の「手取り年収」とは違います。
旗本の場合、知行地から年貢を徴収することで収入を得ていましたが、実際の年貢率は時期や地域、知行の形態などによって異なります。

よく「四公六民」という言葉が使われますが、
「2500石だから、そのうち6割が小栗家の自由なお金!」
……という計算はできないわけです。

さらに小栗忠順は、ただの「お金持ち」ではありません。
2500石を持つ大身旗本です。

大身旗本という身分そのものに、お金がかかったのです。

つまり、
「2500石=大金」ではあっても、
「2500石=自由に使える大金」ではない。

ここが、現代の「年収○○万円」と大きく違うところです。

そして小栗忠順が生きたのは、まさに幕末。
開国による経済変動や貨幣改鋳など、家計を取り巻く環境そのものも大きく揺れ動いていました。

大身旗本の固定費。
そして幕末の物価高。

小栗家の家計には、なかなか厳しい時代が待ち受けていたのです。

大身旗本には「固定費」があった

では、大身旗本には、どんな「固定費」があったのでしょうか。まず考えられるのが、家臣団の維持です。
大身旗本ともなれば、自分ひとりで暮らしているわけではありません。

家臣や奉公人を抱え、屋敷を維持し、武具を整え、武士としての役目や儀礼にも対応する。

つまり、2500石という家格は、「たくさんの収入がある」というだけでなく、「それなりに維持費もかかる」身分だった。
ということです。

ちなみに、幕府の軍役規定では、2000石クラスの旗本でおよそ38人、3000石クラスでおよそ56人という記録が残っています。小栗家のようにちょうど中間の2500石であれば、単純に間を取ってならすと、おおよそ40〜50人規模の家臣・奉公人を維持する必要があった、と考えられます。

石高総人数(目安)出典
1000石23人寛永10年(1633)令
2000石38人Wikipedia「旗本」掲載表
2500石(推定)約40〜50人2000石・3000石の中間値としての試算
3000石56人慶安2年(1649)未発布草案
5000石103人Wikipedia「旗本」掲載表



現代社会においても話し言葉の語尾が『~ザマス。』とかいう家庭は高めの生活水準の維持という名の謎出費がありますよね~♪

そういう家は「家庭」って言わないですね、正しくは『宅は○○ザマス』ですね!(笑)

もちろん、実際の家臣数や支出規模は、小栗家に残る史料を確認する必要があります。

ただ少なくとも、2500石という数字だけを見て、
「これだけ収入があれば、かなり余裕があったはず!」
と考えるのは早計でしょう。

そして、ここでもう一つ問題があります。小栗忠順が生きたのは、幕末という激動の時代。開国や貨幣改鋳によって、経済そのものが大きく揺れ動いていました。

せっかくの収入があっても、物価が上がれば、その価値は目減りする。
小栗家の家計には、さらに「幕末のインフレ」という問題がのしかかっていたのです。

幕末、そんな家計を「インフレ」が襲った

前出の通り、大身旗本には、身分を維持するための固定費がありました。
そこへ、もう一つ厄介な問題が加わります。
幕末の物価高です。

もちろん「幕末はずっと物価が上がり続けた」という単純な話ではありません。ただ、幕末の日本では、貨幣制度そのものが大きく揺さぶられる出来事が起きていました。

つまり小栗忠順が生きた幕末は、
「収入があるから安心」
とは言い切れない時代でした。
収入そのものは変わらなくても、同じお金で買えるものが減れば、家計は苦しくなる。

現代の物価高とは背景も仕組みも違います。それでも、
「入ってくるお金だけ見ていては、家計の実態は分からない」
という点では、少し身近に感じられるのではないでしょうか。

開国と貨幣改鋳がもたらした物価高

では、何が起きていたのか。

1859年の開港後、日本と海外の金銀交換比率の差が問題になりました。当時、日本では金が海外より割安だったため、外国商人が金貨を持ち出す動きが生じ、金貨の海外流出が起こります。

これに対応するため、幕府は1860年に万延の改鋳を実施。金貨に含まれる金の量を大幅に減らし、国内外の金銀比価を近づけることで流出を抑えようとしました。金貨流出はこれで収束に向かいましたが、代わりに幕府は万延二分金などを大量発行し、貨幣供給量は増加を続けます。

日本銀行金融研究所の研究では、1860~61年、1862~65年、1866~67年と貨幣在高の増加局面が確認され、それが物価の推移とも類似するとされています。

ここで幕末の経済の流れを整理すると

開国 → 金銀比価の問題 → 金貨流出 → 貨幣改鋳 → 貨幣供給の増加 → 物価上昇

という負の連鎖的な流れになります。

小栗忠順の家計がこのインフレでどの程度影響を受けたかは、家計簿など個別の史料を見なければ分かりません。
ただ一つ言えるのは、

2500石という「収入の大きさ」だけでは、幕末の小栗家の暮らしは語れない。
ということです。

はっ!そういやニュース見ましたぜ!!
「昭和100年記念貨幣」って額面1000円のヤツを34,800円(税込)で売るらしい…。

これが貨幣改鋳ってヤツっすね!!

全然違うっ!!そりゃただの記念硬貨発行の話だ!

「収入が多い=生活に余裕がある」ではなかった

ここまで見てきたように、2500石という石高は、間違いなく裕福な身分だったことを示しています。

ただし、
「2500石=生活に余裕がある」
とは限りません。

石高は現代の年収とは違います。そこから家臣や奉公人を養い、屋敷を維持し、武士としての立場や役目を果たさなければならない——いわば「額面」であって「手取り」ではないのです。しかも幕末には、そこに貨幣制度の変化や物価上昇まで重なりました。

身分維持のための固定費、そして幕末特有のインフレ。この2つが積み重なったことで、
2500石という「収入の大きさ」と、実際の「生活の余裕」は別の話。
という結論が見えてきます。

ここを押さえておかないと、小栗忠順の暮らしを「2500石もあるんだから、さぞかし豪華だったんだろう」と単純に考えてしまいます。

では実際に、小栗家のお金はどこから入り、何に使われていたのでしょうか。
ここからは、いよいよ2500石の家」の家計簿を覗いてみましょう。

只今より、平民代表として小栗家の青い芝を潜入調査して参ります!

小栗忠順は、実際に何にお金を使っていたのか

では、小栗家の家計はどうだったのでしょうか。

ここから登場するのが、小栗忠順が残した家計簿です。幕末の旗本が、実際にどんなことにお金を使っていたのか。それを具体的な数字と項目から追える、貴重な史料が残されています。

几帳面な小栗忠順が残した「家計簿」

小栗忠順といえば、几帳面で実務能力に長けた人物というイメージを持つ人もいるかもしれません。

しかし、ここでは人物評から入るのはやめておきましょう。

まず重要なのは、

小栗忠順の家計を知ることのできる、実際の家計簿が残っている。

という事実です。

しかも、それは後世の人物が小栗忠順の生活を想像して書いたものではありません。

嘉永3年(1850)から文久3年(1863)にかけて、小栗家の収支を記した史料が現存しているのです。

嘉永3年(1850)から文久3年(1863)にかけて、小栗家の収支を記した家計簿4冊が現存しています。

これは日記2冊とあわせて「小栗上野介日記及び家計簿」(計6冊)として、現在群馬県渋川市に個人所蔵資料として伝わり、昭和31年(1956)に県指定重要文化財に指定されました。

なお、「家計簿を残している」ことと、「忠順が家計を一人ですべて管理していた」ことは別の話です。

ここではそこまで踏み込みません。まずは、残された家計簿そのものが、どんな性格の帳面だったのか。
そこから見ていきましょう。

家計簿には何が記されていたのか

では、ここからいよいよ小栗家の家計簿を覗いてみましょう。

ただし今回は「何をいくら買ったか」より、そもそも小栗忠順がどんな帳面を残していたのかに注目します。というのも、この家計簿にはちょっと興味深い名前が付けられているからです。

『量入制出簿』という名前に込められた思想

小栗家に残る家計簿の一冊には、

『量入制出簿』

という表紙が付けられています。

「量入制出」とは、文字通り「入るを量りて、出ずるを制す」ということ。まず収入を把握し、それに合わせて支出をコントロールするという考え方です。

現代で言えば「手取りを確認してから予算を組みましょう」という、ごく真っ当な家計管理そのもの。

のちに勘定奉行を務める小栗忠順が残した家計簿に、こうした言葉が記されているのは興味深いところです。

もう一つ注目したいのが、この家計簿が2500石の当主になってから突然現れたものではないという点です。

300俵からのスタート

弘化4年(1847)、21歳の小栗忠順は西丸書院番として御番入りし、父・忠高の家禄2500石とは別に300俵を賜っています。

つまりこの時点ではまだ、2500石を相続した当主ではありません。

その後、嘉永年間から幕末にかけて、小栗家には複数の家計簿が残されています。

「2500石の大身旗本だから家計簿をつけていた」と考えるより、

「2500石を相続する前から、収入と支出を記録する世界にいた」

と見るほうが、小栗忠順という人物を考えるうえでは面白いのではないでしょうか。

小栗家には、嘉永年間から幕末にかけての家計簿が4冊残されており、現在も小栗家の家計を知ることのできる貴重な史料となっています。

もちろん、家計簿を残しているからといって、忠順が家計を一人ですべて管理していた、とまでは言えません。

ただ、

「入るを量りて、出ずるを制す」
【現代語訳:収入にあわせて支出を決める】

という言葉が記された家計簿が残っている。

この事実だけでも、2500石という大きな数字の裏側に、収入と支出を記録し、管理する「家計」が存在していたことが見えてきます。

では次に、この家計簿から見えてくる小栗家の「家計のリアル」を、もう少し掘り下げてみましょう。

「入るを量りて、出ずるを制す」

現代でも通用する家計管理の真髄ですね!
この話を一生懸命にしている相方(後輩K)がまるっきり理解してないのが物悲しいですが…。

ガハハハッ!!
「出ずるを量りて、入るを制す」!!

使っちまった分、どうにか稼ぎゃいいんすよ!!
簡単な事っすわっ!!(笑)

「2500石の大身旗本」には、”格”に見合った出費があった

ここまで見てきたように、大身旗本には家臣や屋敷、武具など、身分に伴うさまざまな固定費がありました。

でも、これは単に「お金持ちだから、たくさんお金を使っていた」という話ではありません。

その身分だからこそ必要になる支出があった。

つまり2500石という石高は、収入の大きさだけでなく、それに見合った家格や格式を維持するためのコストまで含めて考える必要があります。

「格が高い」ということは、同時に「格を維持するためのお金もかかる」ということ。

では、この「格を守るための出費」という構造、実は現代にも少し似たところがあるのではないでしょうか。

江戸の「格」と現代の「格」は、ちょっと似ている?

さて、ここで少し現代に目を向けてみましょう。

江戸時代の大身旗本には、その身分にふさわしい暮らしを維持するためのコストがありました。

これ、形は違っても現代にも少し似たところがあります。

たとえば現代でも、所得が高くなれば「家族で暮らす住宅」「子どもの教育」「仕事上の付き合い」「交際費」など、所得だけでは見えてこない支出が増えることがあります。

さらに、高所得者の世界でも住む場所や住宅のグレード、子どもの教育環境などによって、なんとなく「この層なら、このくらい」という社会的な基準が生まれることがあります。

高級住宅街やタワーマンションなどを見ても、単純に「お金持ちか、そうでないか」の二択ではありません。

同じ富裕層の中にも、さらに階層感がある。

もちろん、江戸時代の「家格」と現代の富裕層をそのまま同じものとして考えることはできません。

ただ、

「収入が多いから自由に使えるお金も多い」とは限らない。
そして、その立場にいるからこそ必要になる支出がある。

という点では、ちょっと面白い共通点が見えてきます。

2500石の大身旗本も、現代の高所得層も、単純に「いくら稼いでいるか」だけでは、その暮らしの実態は見えてこない。
そう考えると、2500石という数字が、少し違って見えてきませんか?


ガハハハッ!分かるっす!
一等地のタワマンの地下駐車場とか行くと
「高級車の展示場かよっ!」って風景ですもんね!(笑)

あはは。分かる分かる!確かにそうだな!(笑)
しかも、欧州車率の高いことよ!

まあ、持たざる平民の俺には欧州車の良さってやつがイマイチ分からんけど…。

「お金持ちなのに、お金がない」は現代にもある

ここまで来ると、「お金持ちなのに、お金がない」という、一見すると不思議な状態も少し分かってきます。

そもそも、
「年収が高い」
「自由に使えるお金が多い」
この2つは、必ずしも同じではありません。

住宅費や教育費、仕事上の付き合いなど、その立場だからこそ必要になる支出があれば、収入が増えても、手元に残るお金が同じように増えるとは限らない。

これは江戸時代の大身旗本だけの話ではありません。
「給料は上がったのに、なぜか生活に余裕がない」
そんな感覚、現代でも意外と身近な話なのではないでしょうか。

昔は「家格」を維持するためにお金がかかり、現代は現代なりの「生活水準や社会的立場」を維持するためにお金がかかる。
どうやら収入と手取り感覚の間には、時代を超えて少し距離があるようです。


幕末の2500石と、令和の「年収○○万円」を比べてみる

幕末の2500石と、令和の「年収○○万円」を比べてみる

ここまでの内容を、一度整理してみましょう。

「2500石は現代でいうと年収いくらなのか」——これは、この記事の冒頭からずっと付きまとってきた疑問だと思います。ですが、すでに見てきたように、この問いに一つの数字で答えることはできません。換算基準によって、数千万円規模にも、数億円規模にもなり得るからです。

そこで、単純な金額換算ではなく、いくつかの軸に分けて比べてみます。

比較の軸幕末の大身旗本(2500石)令和の高所得層(年収○○万円)
収入の形知行地から徴収する年貢が収入源。石高はあくまで「その土地が生み出せる米の量」を表す数字給与や事業所得として、金額がそのまま本人に入ってくる
税・年貢知行地から年貢を徴収する仕組み。※実際の負担率は時期・地域などによって異なる所得税・住民税・社会保険料などが天引きされる仕組み
固定費家臣・奉公人の維持、屋敷の維持、武具の整備など、身分に伴う支出住宅費、教育費、仕事上の交際費など、生活水準や立場に伴う支出
社会的立場家格に応じた儀礼・交際・体面を維持する必要がある社会的地位や所属コミュニティに応じた「相場」に合わせる必要がある
物価幕末は開国・貨幣改鋳をきっかけに物価が変動した時期現代もインフレ・物価上昇により、実質的な購買力が変動する
自由に使えるお金石高から年貢分・固定費分を差し引いた残りが実質的な可処分部分額面年収から税・社会保険・固定費を差し引いた残りが手取りの可処分部分

こうして並べてみると、見えてくることがあります。

「収入」の欄だけを見れば、2500石は間違いなく大きな数字です。しかし「税・年貢」「固定費」「物価」といった欄を経由するごとに、実際に自由に使えるお金は目減りしていく。これは、幕末の旗本も、現代の高所得層にも見られる、ちょっと面白い共通点です。

つまり、「2500石=現代の○億円」という一つの数字だけを見ていては、この構造は見えてきません。収入というスタート地点から、実際に手元に残るお金というゴール地点までの間に、何が起きているのか。そこを追ってはじめて、2500石という数字の実態が見えてくるのです。


まとめ:2500石は「大金」だった。でも、自由に使える大金ではなかった

結局、2500石はどれくらいリッチだったのでしょうか。

現代の金額に正確に換算することはできません。けれど、2500石が大身旗本としてかなり裕福な身分だったことは間違いありません。

ただし、それは「2500石=自由に使える年収」という意味ではありませんでした。

その身分を維持するための固定費があり、さらに小栗忠順が生きた幕末には、開国や貨幣改鋳による物価変動も重なっていました。

つまり、

2500石は大金だった。
でも、自由に使える大金ではなかった。

これが、今回の記事でたどり着いた答えです。

そして、この構造は現代にも少しだけ通じるところがあります。

昔は家格を維持するためにお金がかかり、現代は現代なりの生活水準や社会的立場を維持するためにお金がかかる。

時代が変われば、その「お金のかかり方」も変わる。

それでも、収入の数字だけでは暮らしの実態は分からないという点は、案外変わらないのかもしれません。

2500石という数字の向こう側には、家臣を養い、格を守り、物価の変動と向き合いながら暮らす、一人の旗本の家計がありました。

そして、そのリアルを今に伝えてくれるのが、小栗忠順が残した家計簿なのです。


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