西暦1841年——太平洋を揚々と進むジョン・ハウランド号。ふと、ある島に立ち寄った。
そこで起きた小さな出会い。
この出会いこそ後の日本に大きな大きな国益をもたらした――
――【ジョン万次郎の生涯】——

未だ漂流中の二人(はじめての方へ)

後輩K:自称ヤカラのゆとり世代。趣味のパチンコ屋さんに行っても、あっちフラフラこっちフラフラとホール内をいつも漂流。その姿。まさに花粉を運ぶミツバチ。



けだま。:ブログ運営に血道を上げている中年。歴史をテーマにブログを書いているはずが、いつの間にか分厚い『クジラ記事』を書いているという漂流中てか、迷走中。
そもそも「ジョン万次郎」という名の人は存在しない!?
2028年大河ドラマに決定した『ジョン万』ことジョン万次郎。主演は山崎賢人さんが務めます。
大河ドラマファンの私からすると今から楽しみで仕方がありませんが、まずは本編に入る前にそもそもの話をしたいと思います。



よし。来たな。今日は、この度大河ドラマの主役に決定した、ジョン万次郎について語るぞ。ところで、ジョン万次郎ってみんな言っているが当時の人間誰一人彼のことを、ジョン万次郎なんて呼んでいないって知ってたか?



ジョン万次郎なのにジョン万次郎じゃない…。
俺ぁ、哲学はごめんですぜ!!そこらの現場で鉄骨建ててた方がよっぽど性に合ってますわっ!



あはは。悪い悪い。煙に巻く気はないんだ。
実は、ジョン万次郎という名を世に広めたのは昭和の文豪井伏鱒二。まずはそこから入らないと始まらないんだ。
ジョン万次郎の名付け親は井伏鱒二!?
ジョン万次郎=本名・中濱万次郎。
彼の名が広く世間に浸透したきっかけが1937年発表、第6回直木賞を受賞した井伏鱒二の中編小説『ジョン万次郎漂流記』。この名作が世に広まったことで、ジョン万次郎という名が後世の呼び名として定着しました。



つまり我々が当たり前に口にしているこの名前、実は歴史上の呼称ではなく、一人の作家が世に送り出した物語の名前だったわけだ。
以後、中濱万次郎のことを、本編では世間に愛着のある呼称——ジョン万次郎(または万次郎)として表記します。
【井伏鱒二】=昭和期を代表する小説家・随筆家。代表作に『山椒魚』や、原爆の悲劇を描いた『黒い雨』など。歴史的事実とフィクションを絶妙に織り交ぜた『ジョン万次郎漂流記』で第6回直木賞を受賞。太宰治の師としても知られる。
それでは、波乱に満ちた彼の人生を追って行きましょう。
漁師・万次郎、無人島に漂着する
ジョン万次郎の出身地は?
ジョン万次郎は西暦1827年1月27日(旧暦文政10年1月1日)に土佐国幡多郡中ノ浜村(現在の土佐清水市)で産まれました。
父親の名は悦介(えつすけ)、母親は汐(しお)といい、実家は半農半漁で暮らすとても貧しい家庭だったそうです。
早くに父を亡くし、家族を支える立場にあったジョン万次郎は、学問に励む暇もなく必死に働き、やがて、漁師・筆之丞(後の伝蔵)の下で働くようになります。
出航〜遭難の経緯(万次郎14歳)
1841年1月27日。14歳になったジョン万次郎。この日もいつものように漁に出ていましたが、ちょうどその日は海が荒れていて足摺岬の沖合で遭難。
ジョン万次郎と4人の仲間たちはなす術もなく、航行不能な船上で身を寄せ合い、やがて風の吹くまま潮の流れのまま、漂流した後、伊豆諸島にある無人島の一つである鳥島に漂着したのでした。
鳥島での過酷なサバイバル生活
鳥島は、伊豆諸島にある火山島です。ただし、ジョン万次郎たちが流れ着いた1841年当時、そこには人家もなければ、もちろん食料を分けてくれる人もいません。
あるのは、海と岩、そしてわずかな植物だけ。
突然、見知らぬ無人島に放り出された5人は、まず生きるために食べられるものを探さなければなりませんでした。幸いだったのは、鳥島という名前の通り、この島には多くの海鳥が生息していたこと。彼らは海鳥を捕まえ、その卵を食べ、島に生えていた植物なども口にしながら、なんとか命をつないでいきます。
とはいえ、十分な食料が手に入るわけではありません。水も食料も乏しい。しかも、鳥島は火山島で、海岸には人が暮らせるような環境が整っているわけでもない。そんな場所で、ジョン万次郎たちは来る日も来る日も救助を待ち続けることになります。
そして、この過酷な漂流生活は、143日間にも及びました。
ここで、少しだけ話を戻しましょう。
冒頭の人物紹介にも書いたように、このブログでは、ここまで3本にわたってクジラについて書いてきました。なぜ、わざわざクジラを3本も?その答えが、ここから始まります。
ジョン万次郎たちの運命を変えたのは、まさに一頭のクジラを追って太平洋を航海していた船だったのです。


【サバイバル生活イメージ図※生成AIにて作成】
捕鯨船ジョン・ハウランド号との出会い
漂着から143日後、救助の瞬間
鳥島に漂着してから、ジョン万次郎たちは、いつ来るとも分からない救助を待ちながら、ただ生き延びていました。
そして無人島生活143日目のことです。
水平線の彼方に、見慣れない大きな船が姿を現します。船の名は、ジョン・ハウランド号。マサチューセッツ州ニューベッドフォードを拠点とする、アメリカの捕鯨船でした。船長は、ウィリアム・H・ホイットフィールド。
1841年6月27日、ジョン・ハウランド号は鳥島の近くを航行していました。船員たちは、島に海亀がいるかもしれないと考え、2隻のボートを島へ向かわせます。そこで彼らが目にしたのが、岩場にいた5人の日本人でした。
5人は、長期間の漂流生活ですっかり衰弱していました。言葉は通じません。それでも、彼らがただならぬ状態にあることは、見れば分かります。ホイットフィールド船長たちは5人を船へと引き上げ、救助しました。こうして、ジョン万次郎の143日間に及んだ漂流生活は終わります。
14歳の漁師だった少年が、異国の捕鯨船に救われた瞬間でした。
しかし、ここで一つの大きな疑問が残ります。なぜ、鳥島に現れたのが日本の船ではなく、アメリカの捕鯨船だったのでしょうか?しかも、ジョン・ハウランド号が鳥島へ向かったのは、ジョン万次郎たちを助けるためではありません。
実は彼らが探していたのは、別のものでした。
なぜアメリカの捕鯨船だったのか
先ほどの疑問に戻りましょう。なぜ、鳥島に流れ着いた5人を見つけたのが、日本の船ではなく、アメリカの捕鯨船だったのでしょうか。その答えは、当時の世界の海にありました。
1840年代のアメリカでは、電気もガス灯もまだありません。
夜の街や家々を照らしていたのは、植物油や獣脂、そして大量のクジラから採れる鯨油でした。その鯨油を求めて、アメリカの捕鯨船は世界中の海へ進出していきます。
ジョン・ハウランド号の母港だったマサチューセッツ州ニューベッドフォードも、その中心地の一つでした。最盛期には、世界各地から集まった捕鯨船が港を埋め尽くし、ニューベッドフォードは「世界を照らした街(The City that Lit the World)」と呼ばれるほどの繁栄を誇ります。
つまり、ジョン・ハウランド号が鳥島の近くを航行していたのは、たまたまそこを通りかかったからではありません。クジラを追って、アメリカの捕鯨産業そのものが太平洋の奥深くまで進出していた。その航路の先に、日本のすぐ近くに浮かぶ鳥島があったのです。
そして、ここでもう一つの偶然が重なります。ジョン・ハウランド号が鳥島に近づいた目的は、万次郎たちを探すためではありませんでした。船員たちは、海亀を探していたのです。捕鯨船の船員たちにとって、長い航海の途中で手に入る海亀は、貴重な食料でした。
もし彼らが海亀を探そうとしなければ――。
もし2隻のボートを島へ向かわせなければ――。
もし、そのとき岩場に5人の少年たちがいなければ――。
万次郎たちが救助されることはなかったかもしれません。
そして、その船を鳥島の近くまで導いたものを、さらに遡っていけば、クジラに行き着きます。鯨油を求めて海へ出た捕鯨船。その船が、太平洋の孤島で命をつなぐ日本の少年たちを発見した。
ここで、少しだけ思い出してほしいことがあります。このブログでは、ここまで3本にわたってクジラについて書いてきました。なぜ、わざわざクジラを3本も書いたのか。
クジラは、生きているあいだだけ誰かを支えているわけではありません。死んだあとでさえ、海の底で新たな命を支える。そして人間の歴史に目を向ければ、クジラを追って海へ出た人々の営みが、思いもよらない場所で別の誰かの人生を動かすこともある。
太平洋の孤島で行き倒れかけていた14歳の少年。
その少年を救ったのは、クジラを追って海を渡ってきた捕鯨船でした。
まさかその「誰か」に、万次郎も含まれることになるとは。
一頭のクジラを追って太平洋を航海していた船が、結果として一人の少年の運命を変え、やがて日本の歴史をも動かしていく。
終わりは、誰かの始まりだった――。
クジラ3部作を通して綴ってきたその言葉が、ここでようやく、ジョン万次郎という一人の少年にたどり着きました。


後年、船長を務め捕鯨に従事した話
こうしてアメリカの捕鯨船に救われた万次郎は、その後アメリカで航海術や英語などを学び、自らも捕鯨船員として太平洋を航海するようになります。
そして帰国後。ジョン万次郎35歳——。
今度は、自分自身が捕鯨船の船長として海へ出ることになるのです。
舞台となったのは、小笠原諸島。文久2年(1862年)、万次郎は越後の豪商・平野廉蔵の出資で買い取った外国船「壹番丸(いちばんまる)」で捕鯨を行う許可を幕府に願い出て、出船を命じられます。そして翌文久3年(1863年)、父島在住の外国人6名を雇い入れ、小笠原諸島近海でアメリカ式の捕鯨を実行。クジラ2頭を捕獲しています。
14歳のとき、鳥島で行き倒れかけていた少年を救ったのは、アメリカの捕鯨船でした。
その少年が約20年後には、今度は自ら捕鯨船の舵を取り、クジラを追って太平洋へ出ていた。
なんとも不思議な話です。
しかも万次郎の場合、捕鯨は単なる「昔やっていた仕事」ではありません。彼は捕鯨船員として太平洋を航海し、アメリカで航海術や造船、測量などを学び、その経験を日本へ持ち帰りました。そして帰国後は、小笠原の開拓調査や捕鯨活動にも関わることになります。
クジラを追っていた船に救われた少年が、やがて自らクジラを追う側になる。
ここまで来ると、もう「漂流してアメリカに渡った少年」の物語だけではありません。万次郎の人生そのものが、捕鯨を軸にして日本とアメリカをつないでいく物語だったのです。
次回予告(渡米編へ)



歴史ブログで行くって先輩言っておきながら、何ダラダラとクジラのこと書いてんだ?って思ってたっすけど、ここが着地点だったんすね?



そうだ。本編を超える長い長い伏線。ようやく回収できて、俺も感慨深いぞ。



ガハハハッ!!回収もなにも誰も見てねぇっつーの!!(笑)



次回は遂にジョン万次郎がアメリカ大陸に上陸だ。その結末に全米が泣いた…。的な展開を楽しみにしていてくれ。



ガハハハッ!だから誰も見てねぇから、泣きようがねぇっつーの!!(笑)




