クジラは、生きても死んでも――人類の歴史にも寄り添っていた

クジラに浮かぶ人類の営みの図

大海を悠々と泳ぐクジラとちっぽけな陸地をせせこましく生きる人類…。

接点など、ほぼないとお思いでしょうか?

とんでもございません。この記事ではクジラと人類の織りなす歴史を余すことなく解説していきます。

クジラに負けないデカい二人(はじめての方へ)

後輩K:身長1.85M。体重0.1T。体格はデカいが、何よりもデカいのは先輩に対する態度である。

けだま。:中肉中背。体格は普通だが、ブロガーとして大成したいとの野望はデカい。(進捗率0%)。あと友達が居ないので、スマホのアドレス帳の空き容量もとにかくデカい。

目次

クジラと人類、出会いはいつだった?

よし、来たな。今まではクジラがどこから来て、最後はどこへ行くのか話して来た訳だが、今回は最終回。クジラと人類の関わりについて話していくぞ。

もう。クジラは十分に分かったっす。

「俺ぁ、岡サーファーなので、深海を泳ぐクジラとは出会いませんでした。」

って事で終わりでいいっすかね?

これからが一番いいところなんだよっ!!

大袈裟な話じゃなく、クジラと人類の関わりを辿っていくと人類の歴史が見えてくると言っても過言ではないんだ。

縄文時代、すでに人はクジラと関わっていた?

クジラと人類の関係は、近代の捕鯨船から始まったわけではありません。

日本列島では、少なくとも約8000年前の縄文時代には、鯨類を利用していたことを示す証拠が見つかっています。

千葉県の稲原貝塚では、イルカの骨とともに黒曜石製の銛先が出土しています。

また、石川県の真脇遺跡では、約5000年前の地層からイルカなどの骨が大量に出土。小型鯨類を積極的に捕獲していたことがうかがえます。

長崎県のつぐめの鼻遺跡でも、約6000年前の層から鯨類の解体に使われたと考えられる石器や、骨角器の銛が見つかっています。

つまり縄文人は、少なくともイルカやゴンドウクジラなどの小型鯨類については、追い込み漁や突き捕りによって積極的に捕獲していたと考えられるのです。

一方、ナガスクジラやマッコウクジラのような大型クジラについては、沖合での捕獲が容易ではありませんでした。

そのため、こちらは海岸に打ち上げられた「寄り鯨」を利用することが中心だったのではないかと考えられています。

そして、縄文人が利用したのは肉だけではありません。

鹿児島県や熊本県の遺跡からは、クジラの椎骨を回転台として利用した「鯨底土器」も出土しています。

食料として食べ、骨も道具として利用する。

こうして見ると、縄文時代の海辺でクジラやイルカは、単なる「海の生き物」ではなく、人々の暮らしを支える貴重な資源だったのでしょう。

クジラと人類の関係は、どうやら私たちが思っているより、ずっと古いところから始まっていたのです。

何しろ、古代の人々は、デカいもの。神秘的なものに惹かれるものだ。

縄文人にとってのクジラは、あるいは畏敬の念をもって惹かれる存在だったのかも知れないな。

ぞんざいにドン引かれる私とは大違いだ。(苦笑)

なぜ縄文人はクジラに惹かれたのか

縄文人の食卓を支えていたのは、クリやクルミ、ドングリなどの木の実、貝や小魚といった海の幸でした。

もちろん、イノシシやシカなどの狩猟も行われていました。

ただ、狩猟はいつでも成功するとは限りません。獲物を探し、追い、仕留めるには大きな労力が必要です。

そんな暮らしの中に、ある日突然、数トンから十数トンにもなるクジラが海岸へ流れ着いたとしたら。

これはもう、「ごちそうが来た」どころの話ではありません。

一頭のクジラからは、大量の肉や脂肪が得られます。

なかでも皮下脂肪は非常に高カロリーで、現代の食品成分データでも、クジラの皮下脂肪は100gあたり577kcal

木の実や魚を少しずつ集めるのとは違い、一頭のクジラから、日常の採集や狩猟では得にくい規模のエネルギーとタンパク質を、一気に手に入れることができたと考えられます。

しかも、縄文人はそれを無駄にしませんでした。

前章で紹介した真脇遺跡やつぐめの鼻遺跡では、鯨類の骨がまとまって出土しており、捕獲や解体、利用が計画的に行われていたことをうかがわせます。

つまりクジラは、たまたま手に入った珍しいごちそうというだけではありません。

海から突然現れる、巨大な「食料庫」だったのです。

そして、これは前の記事で紹介した「クジラは海のポンプ」という話にも、少しつながります。

海の生態系では、クジラが生きていることで栄養が循環する。

そして人間の歴史を見ても、クジラが現れれば、その巨大な身体そのものが、多くの人々の命を支える。

クジラは海の中でも、海から陸へやってきても、周囲に大きな恵みをもたらす存在だったのかもしれません。

🔗【関連記事】周囲に大きな恵みをもたらす存在——クジラ。彼らの驚きの生態と他生物と地球の繋がりを解説した記事はこちらから

何より驚かされるのが、自分よりだいぶ身体の大きいクジラに果敢に立ち向かっていく、縄文人の勇気だよな~♪

先輩?わかってねぇっすね!喧嘩はガタイでやるもんじゃねぇ!!
じゃあ、何でやるのか?ハートと気合いっすわ!!
ウホウホ達(縄文人)もただの毛深い奴らじゃねぇって事っすね!!

ウホウホ達って!!お前は縄文人たちの叡智をバカにしてるな!!

縄文人はな。無計画なノリで生きてるお前なんかよりよっぽど計画的なんだぞ!!お前もこの記事を読んで縄文人の生き様を見習え!!

🔗【関連記事】後輩Kが毛むくじゃらとバカにした縄文人。どっこい彼らは現代人に負けない高度な暮らしをしていました。詳しくはこちらから。

クジラは”歩く資源”だった時代

縄文時代の人類とクジラの関わりが分かったな。
それでは次は歴史を下って近世のクジラ事情を見て行こうか?

ガハハハッ!いきなり時代飛びましたねっ!!さては、面倒くさくなったっしょ?(笑)

あと、この見出し”歩く資源”なーんて書いてあるっすけど、クジラ歩かねぇし!!”泳ぐ資源”なんじゃねぇんすか?(笑)

うるさい!無駄口をたたくなっ!!

ちょっとは一切無駄のなかったクジラを見習ったらどうだ!!

肉を食べるだけじゃない。油も、骨も、ヒゲも、そして意外なものまで。様々な暮らしの道具へと姿を変えたクジラをなっ!!

鯨油・鯨ひげ・竜涎香――捨てるところがない

まずは、クジラの身体から大量に取れる鯨油

江戸時代の日本では、灯火用の油として広く利用されました。

魚油より匂いが少なく、植物油より安価だったこともあり、庶民の生活にも入り込んでいきます。

「クジラを食べたら、身体が行灯臭くなった」という趣旨の川柳が残るほど、身近な存在だったようです。

さらに鯨油は、ろうそくや機械の潤滑油、皮革の加工などにも利用されました。

そして面白いのが、クジラの種類によって油の用途まで違ったこと。

マッコウクジラの油は精密機械などの工業用途に、ヒゲクジラ類の油は食用油脂やマーガリンなどにも利用されました。

クジラは、食べて終わりではなかったのです。

次に登場するのが、鯨ひげ

これはヒゲクジラの口の中にある板状の器官で、弾力性としなやかさを持っています。

プラスチックがなかった時代には、この性質が非常に重宝されました。

西洋ではコルセットや傘の骨などに使われ、日本でも釣竿の先端や裃の芯、文楽人形の仕掛けなど、さまざまな用途に利用されています。

そして最後は、ちょっと意外な「クジラ由来の高級品」。

竜涎香(りゅうぜんこう)です。

これはマッコウクジラの腸内で形成される、結石状の物質。

海に浮かぶ性質があるため、昔は海岸に漂着したものを拾って入手するしかなく、非常に貴重な香料として扱われました。

香水では香りを長持ちさせる「保留剤」として珍重され、琉球王国では「龍糞(ルーフン)」と呼ばれ、貴重な品として扱われていた記録もあります。

一説によると、マッコウクジラの名前の由来は、竜涎香の香りが仏事で使われるお香の「抹香」に似た良い香りがするからとも言われてますね!

食べる。

灯りにする。

道具にする。

香りにする。

こうして見ると、昔の人々にとってクジラは、海からやってくる巨大な「資源のかたまり」だったのでしょう。

一頭を手に入れたら、できるだけ無駄なく利用する。

その発想が、やがて江戸時代の組織的な捕鯨文化へとつながっていきます。

江戸の捕鯨、そして「クジラ一頭で七浦潤う」の意味

江戸時代になると、クジラをめぐる人々の営みは、さらに大きくなっていきます。

戦国末期から江戸初期にかけては、各地に「鯨組」と呼ばれる捕鯨組織が生まれ、捕獲から解体、加工、販売まで、多くの人が関わる産業へと発展していきました。

捕鯨の方法も変化します。

当初は銛で直接クジラを突く突取法が中心でしたが、やがて網でクジラの動きを封じてから銛を打つ網取法が広がり、それまで捕獲が難しかった大型のクジラも対象になっていったとされます。

太地(和歌山県)は、この網取法の発祥地としてよく紹介されますが、成立時期や発祥地については諸説あります。

また、肥前や対馬、壱岐、長門、土佐、紀伊、陸前など、各地で捕鯨が行われていました。

つまり、クジラを一頭捕るということは、単に漁師が食料を手に入れるという話ではありません。

海でクジラを探す人。

船を操る人。

網を扱う人。

銛を打つ人。

そして、巨大なクジラを解体し、肉や油などに加工し、運び、売る人。

一頭のクジラをめぐって、多くの仕事と人が動いていたのです。

そんなクジラの経済的な価値を象徴する言葉が、

「鯨一つ捕れば七浦潤う」

という言い回しです。

ここでいう「七浦」は、本当に七つの漁村という意味ではありません。

「七」という数字は、多くの場合「たくさん」を表す慣用的な表現。

つまりこれは、一頭のクジラが捕れれば、それほど多くの人々や地域が潤うという意味なのです。

実際、近世には捕鯨そのものについて記した専門的な書物も残されています。

1832年に刊行された『勇魚取絵詞(いさなとりえことば)』は、その代表例のひとつ。

肥前国・生月島の益富家の鯨組を題材に、捕鯨の様子や道具、関係する人々などを描いています。

クジラは、もはや「海で捕れる大きな獲物」ではありません。

地域の産業を動かす存在になっていたのです。

ただし、ここには前章とは少し違うクジラとの向き合い方も見えてきます。

鯨組では、捕らえたクジラに戒名をつけたり、供養塚を建てたりする習慣があったと伝えられています。

人々はクジラを徹底的に利用しながら、その命に対して畏敬の念も抱いていた。

「捨てるところがない」という実利と、

「命をいただいている」という感覚。

江戸時代の捕鯨文化には、その二つが同時に存在していたのです。

こうして見ると、クジラを中心とした経済圏がたしかにあったんだな。
戒名つけたり供養塚建てたり、もしかしたら縄文時代から続くクジラに対する畏敬の念が脈々と息づいていたのかも知れないな。

前々回に教えてもらった、クジラの祖先パキケタスから思うと、クジラ自身もこんなにデカい存在になるたぁ、びっくりしてんじゃないすかね~?

ほう!クジラの潮吹きのように記憶をすぐにまき散らすお前にしては上出来だ!!確かに進化の過程から通して見ると、感慨もひとしおだなっ!

🔗【関連記事】毎晩の鯨飲馬食がたたって記憶力がちょっとアレな後輩Kが珍しくちゃんと覚えていた。クジラの進化の過程をまとめた記事はこちらから

近代捕鯨から、対立の時代へ

さて、ここでクイズだ。

「江戸時代まで、日本人にとってクジラは主に「海からやってくる巨大な資源」だった訳だが、19世紀になるとクジラ以上に巨大な何かが海からやってきます。それは何でしょうか?」

へっ!?クジラよりデカいもの??

アザラシ?…。いや💦ちっちぇ!!
ラッコ??…。いや💦かわいいだけでダメだっ!!

うーん…。うーん…。

コバンザメっっ!!

あはは。クジラよりデカいコバンザメってどんなだよ!!(笑)

それに、コバンザメはクジラに寄生して記事書いてる俺だ。(泣)

正解は…。クジラを追って日本近海までやってくる国々(代表的な国はアメリカ)でしたー!

そしてこの巨大な奴らが日本の歴史にも思わぬかたちで関わってくるんだ。

クジラが日本の鎖国を打ち破った

19世紀のアメリカでは、鯨油がランプの燃料や工業用資源として大量に利用されていました。

そのため捕鯨船は太平洋へ進出し、日本近海やオホーツク海にまで活動範囲を広げていきます。

しかし、捕鯨船の航海は数年に及ぶこともありました。

船員たちが必要とするのは、もちろんクジラだけではありません。

水、食料、燃料。

長い航海を続けるためには、それらを補給できる港が必要でした。

ところが当時の日本は、外国船の自由な入港を認めていません。

ここに、アメリカ側の「日本の港を開いてほしい」という切実な事情が生まれます。

1853年、アメリカのペリーが日本へやって来たとき、フィルモア大統領の親書には、遭難した船員や漂流民の保護だけでなく、燃料や食料の補給、港の開放など、複数の要求が盛り込まれていました。

もちろん、日本の開国が「捕鯨だけ」が理由だったわけではありません。

アメリカにとって日本は、清(中国)との航路における中継地としても重要でした。

それでも、その背景のひとつに、太平洋へ進出した捕鯨船の補給問題があったことは見逃せません。

つまり、遠い海でクジラを追っていた人々の事情が、めぐりめぐって日本の歴史を動かす一因になったのです。

そして、ここにはもうひとつ、日本人と捕鯨船をめぐる興味深い物語があります。

当時、アメリカの捕鯨船に救助された日本人漂流民がいました。

その人物との出会いは、後の日米関係にも影響を与えていくことになります。

クジラを追う船が、日本人の運命を変え、そして日本とアメリカの関係にもつながっていく。

クジラはいつの間にか、日本の海岸だけでなく、日本の歴史そのものを動かす存在になっていたのです。

産業革命がクジラを「石油」に変えた

江戸時代までの日本では、クジラは食料であり、油であり、道具の材料でもありました。

ところが19世紀になると、クジラの価値はさらに大きく膨らみます。

産業革命です。

欧米では、鯨油がランプの燃料として大量に使われただけでなく、機械の潤滑油など、工業にも欠かせない資源になっていきました。

イギリスでは、紡績業で繊維の脱脂や洗浄にも鯨油が利用されています。

さらに19世紀半ばには、鯨油などの油脂から得られるグリセリンが、爆薬の製造にも利用されるようになります。

つまりクジラは、

「食べる動物」から「産業を動かす資源」へ。

その価値が、一気に跳ね上がったのです。

そして、ここで前章の話につながります。

鯨油を求めて捕鯨船は太平洋へ進出し、日本近海にも姿を現すようになりました。

日本の開国にはさまざまな要因がありましたが、アメリカの捕鯨船が必要とした水や食料、燃料の補給地という問題も、その背景のひとつでした。

クジラを追いかけた船が、日本の歴史まで動かしてしまった。

しかし、巨大な需要は当然、クジラそのものにも大きな負担をかけます。

特に、体が大きく油を多く取るうえ、泳ぎが比較的遅いセミクジラやホッキョククジラなどは、捕鯨の格好の標的となりました。

しかも、クジラは死んでもすぐには沈みません。

捕獲したあとに海上で処理しやすいことも、捕鯨の対象となった理由のひとつでした。

こうして、かつては海の恵みだったクジラが、産業社会にとって価値の高い「資源」へと変わっていきます。

そして人間が求めれば求めるほど、その数は減っていく。

クジラと人類の関係は、ここから大きな転換点を迎えることになります。

捕り方がエグイっすね…。
この時代のニンゲンってのは、倫理観ってヤツぁないんすか!!

いいか?お前に歴史を見る時の鉄則を教えてやろう。

歴史を見る時、絶対に現在の常識を当てはめちゃいけないんだ。
当時の差別、倫理観は当時の純然たる物差し。

そこをはき違えると、ひいては歴史をゆがめることになるんだ。

商業捕鯨モラトリアムと、いまも続く論争

クジラをめぐる問題は、20世紀に入ると大きく変わります。

捕鯨技術の発達によって捕獲できるクジラが増える一方、乱獲による資源の減少も深刻になり、国際的に捕鯨を管理する必要性が高まっていきました。

その中心となったのが、**IWC(国際捕鯨委員会)**です。

1982年、IWCは商業捕鯨について、捕獲枠をゼロとするモラトリアムを採択しました。

採決は25対7。

実際の適用は、母船式捕鯨では1985/86年期から、沿岸捕鯨では1986年から始まりました。

ここで注意したいのは、「モラトリアム」という言葉です。

これは条約上、商業捕鯨を一時停止するための措置であり、「永久に捕鯨を禁止する」という規定そのものではありません。

ただし、この決定によって商業捕鯨をめぐる国際的な状況は大きく変わりました。

日本も長くIWCに加盟していましたが、2018年12月に脱退を発表。

2019年6月30日付で正式に脱退し、翌7月1日から商業捕鯨を再開しました。

現在の日本の商業捕鯨は、日本の領海と排他的経済水域(EEZ)内で行われています。

では、なぜクジラをめぐる論争は今も続いているのでしょうか。

捕鯨を支持する側からは、クジラ資源を科学的に管理しながら持続的に利用することは可能だという主張があります。

一方、反対する側からは、クジラを食料や資源として捕獲する必要性は低く、捕鯨そのものを減らしていくべきだという主張があります。

さらに、クジラを食文化や地域文化の一部として捉える立場と、野生動物の保護を重視する立場など、問題にはさまざまな価値観も関わっています。

つまり、この問題は単純に「クジラを捕るか、捕らないか」だけではありません。

資源管理、食文化、地域社会、経済、そして野生動物の保護。

それぞれの価値観が交差するからこそ、現在も議論が続いているのです。

クジラと人類の関係は、かつての「どうやってクジラを獲るか」という問題から、

「私たちはクジラと、これからどう付き合っていくのか」

という問題へ変わってきました。

デカくて重い話っすね…。で?結局先輩の見解はどうなんっすか?

捕鯨賛成派反対派。どちらの意見も一理あるんだ。

ただのコバンザメにこの話題に軽々に評価をすることは、差し控えたいかな。

いま、私たちはクジラとどう関わっているか

クジラを巡る旅もいよいよ現代までやって来たな。

ここからは現在のクジラとの関わりと課題を見ていこう。

ガハハハッ!!このクッソ長ぇ文章もようやく尻尾が見えてきたって訳っすね!(笑)

獲る関係から、見る関係へ――ホエールウォッチング

クジラと人類の関係は、「獲る」だけではなくなりました。

その象徴ともいえるのが、ホエールウォッチングです。

野生のクジラを捕獲するのではなく、海を泳ぐ姿を観察し、その存在そのものを楽しむ。

そんな新しいクジラとの付き合い方が広がっていきました。

ホエールウォッチングの起源は、1950年代のアメリカ・サンディエゴで始まったコククジラの観察にあるとされています。

1955年には、有料のボートツアーとして現在のスタイルに近い形も登場しました。

日本では、1980年代末に小笠原諸島でホエールウォッチングが始まったとされています。

その後、観光として定着し、現在ではクジラを見るために海へ出ること自体が、ひとつの観光産業になっています。

たとえば北海道の羅臼町では、ホエールウォッチングなどの観光によって年間約2万人が参加し、2016年の調査では約1.3億円の経済効果があったとされています。

つまりクジラは、捕獲して利用することで人々を潤すだけではなく、

「生きている姿を見せること」そのものでも、人を呼び、地域に経済をもたらす存在になったのです。

そして、ここにも歴史の面白い縁があります。

ホエールウォッチングの舞台となる小笠原諸島は、かつて捕鯨船への補給を生業とする人々が暮らしていた場所でもありました。

さらに、この島には、後の記事で登場するある日本人も深く関わっています。

かつてはクジラを追う船のための島だった場所で、今ではクジラを「見る」ための船が出ている。

クジラと人類の関係が変わってきたことを象徴する風景なのかもしれません。

海洋汚染・混獲――新しい形の「関わり」の課題

クジラを「獲る」ことが減り、「見る」ことが増えた。

では、人類とクジラの関係は、これで平和になったのでしょうか。

残念ながら、そう単純ではありません。

現代のクジラが直面しているのは、海洋プラスチックや漁具への絡まり、船舶との衝突といった、人間の活動によって生まれた新たな問題です。

そのひとつが、プラスチックごみの誤食です。

プラスチックを大量に飲み込むことで、消化管がふさがれて死に至るケースがある一方、少量ずつ摂取することで食欲が低下し、十分な栄養を取れないまま弱っていくケースも報告されています。

2018年にはタイで、約8kg、80枚以上のレジ袋を飲み込んだコビレゴンドウが死亡する事例がありました。

日本でも2018年、神奈川県鎌倉市の由比ヶ浜にシロナガスクジラの幼体が漂着し、胃からプラスチック片が見つかっています。

ただし、この個体については、プラスチックが死因だったとは考えられていません。

母親とはぐれたことによるストランディングが原因と考えられており、「プラスチックを食べたから死んだ」と単純化することはできません。

さらに、漁網などの漁具に絡まる混獲や、船舶との衝突もクジラにとって大きな脅威です。

捕鯨による個体数減少が問題になった時代を経て、一部のクジラでは個体数が回復してきました。

しかし、クジラが人間の生活圏に近づけば近づくほど、今度は別の形で人間との接触が生まれます。

捕まえる。

食べる。

見る。

そして、知らないうちに傷つけてしまう。

人類とクジラの距離が近づいたからこそ生まれた問題もあるのです。

クジラとの関係は、「獲るか、獲らないか」だけでは語れなくなっています。

これから問われるのは、同じ海を使う者同士として、どう共存していくのか。

そんな段階へ、人類とクジラの関係は進んでいるのかもしれません。

まとめ――クジラは、人類の歴史にもずっと寄り添っていた

ここまで、クジラと人類の長い関係をたどってきました。

思えば、このシリーズで最初に紹介したのは、「クジラは海のポンプである」という話でした。

クジラは海の中を泳ぎながら栄養を循環させ、海の生態系を支えている。

そして命を終えたあとも、「鯨骨生物群集」として、長い時間をかけて深海の生き物たちを支え続けます。

面白いのは、人類との関わりを振り返っても、まったく同じ構図が見えてくることです。

縄文人にとって、クジラは命をつなぐ食料であり、骨まで無駄なく利用される資源でした。

江戸時代には、油も鯨ひげも余すことなく使われ、一頭のクジラが地域の産業と経済を潤しました。

近代に入ると、鯨油は世界規模の産業を支える原料となり、その一方で、捕りすぎによる個体数の減少も招きました。

生きても、死んでも。誰かに利用されても、利用されすぎても。

クジラは、様々な形で何かを支え続けてきた存在だったのです。

もちろん、その歴史は美しいことばかりではありません。

人類はクジラを利用し、そして利用しすぎた。

乱獲によって、その数を大きく減らしたこともまた、人類とクジラの関係の一部です。

それでも、その関わりが途切れることはありませんでした。

そして今、私たちはクジラを「獲る」だけでなく、「見る」という関わり方も選べるようになりました。

かつて捕鯨船が行き交っていた海に、今はホエールウォッチングの船が出ている。

「獲る」から「見る」へ。

この変化は、人類とクジラの関係が確かに変わってきたことの証なのだと思います。

海の中で生き、海を豊かにし、死んだあとも命を支える。

そんなクジラと、これから先も同じ海で生きていく。

クジラと人類の長い関係は、現在進行形の話なのです。

どうだったかな?クラッシックな話題から現在進行形の話まで、疾走感溢れるフル回転(Over Drive)で説明したけど、ついて来れたか?

いやいや。なかなかどうして勉強になりましたわ!
是非ともクジラさんにはこれからも大海を散歩道のように悠々と泳いで欲しいものですね♪

いやぁ~実はな。この記事のリンク見て貰えば分かるんだけど、ホントは全12回に渡ってクジラについて語ろうと思ってたのだけど、残念ながら3回で終わってしまったよ。

リンク見たか?ほら!12回続いたらくじら12号になるじゃんかよ!(笑)

く、くっだらねぇ!
こんだけ語ってまさかのJUDY AND MARY(ジュディマリ)オチかよっ!!

この!そばかす野郎っ!!(怒)

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