縄文時代…。もしや、ただのウホウホの時代だと思ってる人は居ないでしょうね?
世界的に見ても珍しい、1万年にも渡るミステリアスな時代。
ミステリアスの欠片もない、いつもの二人が縄文の謎を紐解きます。
当ブログのその日暮らしの二人(初めての方へ)

後輩K:座右の銘が人生一発逆転の根っからの狩猟民族気質。



私:農耕型ビジネスといわれるブログを運営しているが、ひとっつも育ってないので、現状、狩猟民族以下。
縄文時代の暮らし
意外と計画的だった!?縄文人のくらし



先輩っ!大ピンチっす!
(給料日はまだ先なのに)あと10円っす!これじゃ、GOしてタクシーどころか今日のメシ代すりゃありゃしねぇ!



お前は!いつも給料は計画的にって言ってるだろ!くれぐれも安易に変な所を「ご利用」するなよ?



こりゃ、しょうがねぇ!縄文人みたいに山入って何か狩って来るしかねぇな!



縄文の人々はお前みたいにちゃらんぽらんに生きてないんだよ!一緒にするんじゃない!
🔍【ここがポイント!後輩Kとは違う縄文時代の堅実な暮らし】
① 何百年も続いた定住生活三内丸山遺跡(青森県)は、約1500年にわたって集落が営まれていたとされています
縄文人は、獲物を追って毎日移動するだけの暮らしをしていたわけではありません。
長期間にわたって同じ場所に住み続け、集落を維持していたことが分かります。② 数十人〜数百人で支え合う集落生活
縄文時代の集落には、竪穴住居などが集まり、複数の家族や人々が共同で暮らしていました。
食料を得ること、道具を作ること、住居を維持すること。こうした生活を支えるためには、一人ひとりの活動だけでなく、集落全体での協力が欠かせません。
③ ゴミ捨て場すら残っている「貝塚」
貝殻や食べ物の残りなどが集まった「貝塚」も、縄文人の暮らしを知る重要な手がかりです。
貝塚は、集落の一定の場所に長期間にわたって形成されています。何気なく捨てられた生活の痕跡が、数千年後の私たちに当時の暮らしを伝えてくれているわけです。
縄文時代の『家』事情



10円しかねぇのは仕方ないにしても、家賃の引き落としがあるんすよ!
もし、腹減っても最悪カスミ食ってりゃいいっすけど、家賃払えなきゃ家追い出されちまう!!



お前は!使っていい金と使っちゃダメな金の区別つかんのかっ!!



まぁ!そうなったら縄文人みたいにほら穴でキャンプファイヤーっすわ!



お前は縄文の人々の家をバカにするな!
あと、裸火は環境問題も悪化するし、不審火で通報されるから
お前は、ほら穴禁止な。
🔍【ここが凄いぞ!縄文時代の住宅情報】
① 半地下構造で快適な室温を保っていた
縄文時代の代表的な住居「竪穴住居」は、地面を50〜60cmほど掘り下げて床を作る半地下式の造りです。
土の中は深さがあるほど温度が一定に保たれるため、夏は涼しく冬は暖かい環境が自然と実現されていたと考えられています。② 屋根には土がかぶせられ、断熱性も工夫されていた
以前は草だけで葺いた屋根と考えられていましたが、一部の遺跡で、近年の発掘調査によって、屋根の上に土をかぶせた『土屋根』の構造だった例も確認されています。
草だけの屋根より断熱効果が高まるため、より快適な住環境を目指した工夫だったといえそうです。③ 1軒には数人、ムラ全体では集落として計画的に配置されていた
1軒の竪穴住居には、平均するとおよそ4〜5人ほどの家族が暮らしていたとされ、それが複数軒集まって広場を囲むように配置され、ひとつの「ムラ」を形成していました。
家1軒だけで完結する暮らしではなく、集落全体の設計を前提にした住まい方だったことがうかがえます。
縄文時代の食べ物
グルメが過ぎる!?縄文の食事事情



そういや、さっきは華麗にスルーして悪かったけど、霞って食い物じゃないから、んなもの食わないでちゃんと栄養つけなきゃダメだぞ?



へっ!?カスミって食い物じゃないっすか?俺がガキの頃、ばあちゃんがよく「食うのに困ったら最悪カスミ食ってりゃ何とかなるさ。」って教えてくれたから…。



あははは!愉快なおばあちゃんだな!
今回は霞食いそびれたお前なんかより縄文の人々の方がよっぽど豊かな食生活送っていたんだぞ?
※「霞を食う」(カスミをくう)=仙人が霞だけを食べて生きるとされた中国由来の故事成語。転じて、ろくに食べずに生活すること、または浮世離れした暮らしぶりを指す言葉として使われます。
🔍【この解説で丸わかり!?縄文グルメガイド】
① 山・海・川、身近な自然がそのまま食料庫縄文人の食生活は、狩猟・漁労・採集によって支えられていました。
シカやイノシシなどの動物、魚や貝、木の実や山菜など、暮らす地域の自然環境に合わせて、さまざまな食材を利用していたことが分かっています。② 木の実は縄文時代の重要な主食だった!?
特にクリやドングリ、クルミなどの木の実は重要な食料でした。
なかでもドングリなどは、そのまま食べるのではなく、アク抜きをして食用にするなど、手間をかけて加工していました。③ 「採って食べる」だけじゃない。保存もしていた
縄文人は、その日に手に入れたものを食べて終わり、という暮らしをしていたわけではありません。
木の実などを貯蔵するための穴が各地の遺跡から見つかっており、食料を保存しておく工夫も行われていました。狩猟、漁労、採集、そして保存や加工。
縄文人の食生活は、自然の恵みをただ受け取るだけではなく、手に入れた食材を工夫して食べ、蓄える知恵に支えられていたのです。
そういえば、縄文時代って何年前?



まぁ、察しのいい俺だから分かるけど、先輩何言っても縄文時代に話持ってこうとしてるっすよね?
んで、縄文時代って一体何年前の話なんっすか?
俺が察するに5万年前くらいじゃないかと睨んでるんすけど。



あははは。5万年前はお前が散々話持って行ってるウホウホの時代だな。(旧石器時代)
一口に縄文時代と言っても、それはもう、お前が「今月こそ計画的に」って誓ってから、給料日前に10円になるまでの周期を、何百回、何千回繰り返しても届かないくらい長いんだよ。
🔍【結局のところ縄文時代はここだ!】(※諸説あります。)
① スタートは今からおよそ1万6千年前
縄文時代の始まりは、土器が使われ始めた時期を基準とするのが一般的で、今からおよそ1万6千年前までさかのぼります。
ちなみに後輩Kが疑っていた「5万年前のウホウホ時代」は、縄文時代よりさらに前の旧石器時代。
縄文人はすでに土器を使い、定住生活を営むなど、独自の暮らしを築いていた時代です。② 終わりは今からおよそ2,300〜3,000年前
縄文時代の終わりは地域によって差がありますが、稲作が広まり、各地で弥生時代へ移り変わっていく頃が一つの目安とされています。
始まりと終わりの年代には幅がありますが、いずれにしても縄文時代が1万年以上にわたって続いたことに変わりはありません。
③ 実は6つの時期に細かく分けられている
縄文時代は、草創期・早期・前期・中期・後期・晩期という6つの時期に区分されています。
これまで紹介してきた三内丸山遺跡が栄えたのは、主に前期から中期にあたる時期です。
ひとくちに「縄文時代」と言っても、その1万年以上の間には、暮らしや文化が少しずつ変化していきました。
縄文時代の道具・服装
縄文人の暮らしに関わるアイテムとモード系



ここで縄文マスターの道を突き進んでるお前にクイズだ。
ℚ:人類の進化の過程で手に入れた「火の使用」という英知。これで食材を焼くことに成功した古代の人々。
そんななか、縄文の人々は火を使って、さらに調理の幅を広げました。
さて、それは一体どんな方法でしょう?



回答:うーん…。ハッ!わかったっす!
ウホウホ達は料理は裸でやってた訳じゃないすか?そこに火がボウボウで危ないったらない!
答えはエプロンだ――つ!



なーにが裸エプロンだっ!!
当時の縄文モード界の最先端は貫頭衣(かんとうい)だっ!
正解は食べ物を「煮る」だ。
では、その食べ物を煮る為に必要な縄文時代を代表する「器」はなーんだ?



ハッ!!縄文式土器!!
🔍【縄文人のアイテムとファッションをチェック!】
① 土器がもたらした「煮る」という新しい調理法
土器の登場によって、「焼く」に加えて「煮る」という調理法が使えるようになりました。
ドングリなどの木の実も、アク抜きなどの加工によって食料として利用できます。
土器を使った煮炊きは、縄文人が利用できる食材の幅を広げる重要な技術だったと考えられています。② 縄文人は何を着ていた?「貫頭衣」というスタイル
縄文時代の衣服は残りにくいため詳しいことは分かっていませんが、植物繊維などを使った衣服が作られていたと考えられています。
その一つが、布の中央に穴を開けて頭からかぶる「貫頭衣(かんとうい)」です。
寒い季節には、動物の毛皮なども防寒に利用されたとみられます。③ 縄文ファッションの主役は「装飾品」だった!?
貝や石、骨などを加工した首飾りや腕輪、髪の装飾品なども出土しています。
衣服そのものについては分からないことも多い一方、こうした装飾品からは、縄文人が身を飾ることも楽しんでいたことがうかがえます。
編集後記:縄文時代と弥生時代の違いに想いを馳せつつも…。
この記事を書いて見て気づかされたのが、「過去の常識は現在の非常識」であること。
実際現場で活躍されてる考古学研究者の努力は凄まじく、日々研究が進み次々と定説が覆るのが、考古学ファンからは楽しみのひとつである。
・『縄文人は定住などせずに季節ごとに移動を繰り返されていた。』
・『稲作を用いた弥生人の方が優れていて縄文人は見るも無残に駆逐されていった。』
このように今から思うと荒唐無稽な話も「試験に出ますよ。」と必死に覚えた云十年前のけだま。受験生。
十年ひと昔だろうが云十年だろうが一万年を越える悠久の時間の前には、浜辺に浮かぶ一片の貝殻の如し…。
そんな中でまるで、一万年前から先祖返りしたかのような、行き当たりばったりの我が愛しの後輩Kの所業。
いや、調べれば調べるほど、計画的な暮らしを行っていた彼らに「一緒にするな!」と叱られることは請け合いであろう。
先輩たる私に出来ることは、また彼が愚かな散財に出かけようとしたとき、彼の首根っこを掴んで、柱にきつく彼を縛り付けることであろう。
そう、肌に縄の文様が付くくらいきっちりと……。
(縄文)

