『おかあさんといっしょ』の全てを徹底発掘!お兄さん・歴代お姉さん、歌、人形劇、卒業まで

皆さん、こんにちは。NHK考古学者のけだま。です。

65年以上の長きにわたり、日本中の子どもたち、その親御さんたちの心を掴んで離さない国民的キラーコンテンツ、『おかあさんといっしょ』。

これまで14回にわたって、様々な角度から『おかあさんといっしょ』の魅力をお届けしてまいりましたが、今回はその集大成。これまで発掘してきた「おかいつ」の歴史、人、そして知られざる舞台裏を、一冊の「教科書」にまとめるつもりで掘り下げていきたいと思います。

思えば、このおかいつシリーズを書き始めたそもそもの出発点は、ひとつの小さな疑問でした。それは、年に4回ほど放送される「おかあさんといっしょ 歌のリクエストスペシャル」を子どもと視聴していた時のこと――。

「自分が子ども時代に見ていたあの映像、なぜ再放送やDVDでほとんど見かけないのだろう?」

番組そっちのけで、この疑問を調べ始めたところ、そこには単なる「昔の映像が残っていない」という話では片づけられない、実に興味深い事情が隠されていました。


目次

第1章:「使い捨て番組」から「Eテレ経済圏」へ

1-1 1960年代のおかいつは、なぜ『発掘』するしかないのか

さて、冒頭の疑問から発掘しましょう。「なぜ、昔の『おかあさんといっしょ』の映像はほとんど残っていないのか?」

実はこれ、おかいつだけの話ではありません。番組が始まった1959年は、テレビ放送が「記録して残すもの」になる前の時代でした。

当時の2インチVTRのテープは非常に高価で、放送済みのテープを別の番組の録画に再利用することも珍しくなかったのです。NHK放送文化研究所の調査でも、1960年代の番組は「映像がほぼ残っていない」とされています。

台本や原画まで散逸し、いまは遺族が保管していた資料から当時をたどる研究が行われているほどです。日本を代表する長寿番組なのに、最初期は「映像」ではなく「資料」から発掘するしかない。まさにNHK考古学です。

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そして、ここから『おかあさんといっしょ』の歴史は、少しずつ次の時代へ進んでいきます。


1987年、ひとつの大きな転換点

そんな「残らない番組」が変わり始めたのが、1987年です。この年、坂田おさむさんと神崎ゆう子さんのコンビが誕生し、「どんな色がすき」「パンダ うさぎ コアラ」「ほしぞらカーニバル」など、今も歌い継がれる歌が生まれました。

同じ1987年8月には、『NHK「おかあさんといっしょ」にこにこぷんのこんなこいるかな』が発売されています(国立国会図書館に記録あり)。番組の世界が、放送の外へ、音楽商品として広がり始めていたことがわかります。

もちろん、突然すべてが変わったわけではありません。それ以前から、歌や人形劇、出版物などの展開はありました。ただ、この頃から「番組から生まれた価値を残し、広げる」という方向が強まっていきます。

※IP化=「一つの作品(番組・キャラ・音楽など)を、放送・上映だけで終わらせず、グッズ・CD・ゲームなど様々な形に展開して『何度も活きる知的資産』に変えること」

実際、番組60周年の公式CDは、1987年からの歴代の出演者と楽曲を収録しています。放送が終われば消えかねなかった番組が、いまは「過去のコンテンツそのものが資産になる番組」になったのです。

では、その変化を支えた仕組みとは。外せないのが、NHKエデュケーショナルです。

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1-2 NHKエデュケーショナル誕生

番組を「育てる」側を支えたのが、株式会社NHKエデュケーショナルです。設立は1989年5月30日。いまでは番組制作に加えて、デジタルコンテンツ、教材、イベント、パッケージ商品、キャラクタービジネスまで、幅広い事業を担っています。

ただし、最初から「Eテレ経済圏を作る会社」だったわけではありません。出発点は、子ども・幼児、学校教育、美術、語学、科学、健康といった「教育・学び」の分野を、専門的に企画・制作することでした。

背景には、1980年代のテレビを取り巻く変化があります。番組の歌がCDになり、キャラクターが書籍や商品になり、番組のノウハウが教材やイベントに広がっていく。「放送して終わり」ではない育て方が、現実になりつつあったのです。

つまり、エデュケーショナルができたから突然ビジネスが始まったのではありません。NHKが積み重ねてきた教育コンテンツの専門性が、ひとつの組織として強化された。その先に、いまの幅広い展開があります。

では、その仕組みは「卒業」というイベントとどうつながっているのか。それは第3章「卒業は、いつしかビジネスになった」で発掘します。

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1-3 1993年の教訓――「同時交代」を避ける防波堤システム

ここまで、『おかあさんといっしょ』が「残す番組」へ、そして「育てるコンテンツ」へと変化していった流れを見てきました。その歴史の中でも、もうひとつ見逃せないのが、出演者の交代です。

『おかあさんといっしょ』では、長年にわたって「うたのおにいさん」「うたのおねえさん」など、番組の顔となる出演者が交代してきました。そして、この交代には、番組を大きく揺らさないための「間」が存在するようになっていきます。

その背景を考えるうえで、ひとつの大きな節目となるのが1993年です。


1993年、番組の顔が一気に変わった

1993年春。この年、『おかあさんといっしょ』では大きな出演者交代がありました。

8年間「うたのおにいさん」を務めた坂田おさむさん。6年間「うたのおねえさん」を務めた神崎ゆう子さん。そして6年間「体操のおにいさん」を務めた天野勝弘さん。長く番組を支えてきた3人が、同じタイミングで卒業しています。

後任として登場したのが、速水けんたろうさん、茂森あゆみさん、そして佐藤弘道さん。つまり、歌と体操という番組の主要な出演者が、一気に入れ替わったわけです。

これは、番組にとってかなり大きな変化でした。

もちろん、出演者が交代すること自体は、長寿番組なら避けられません。しかし、「番組の顔が一度に何人も変わる」となれば、視聴者から見た印象も大きく変わります。

特に『おかあさんといっしょ』の場合、毎朝子どもたちが同じ時間に見る番組です。歌のおにいさん、おねえさん、体操のおにいさん。子どもにとっては、単なる「出演者」ではありません。毎朝テレビの中で会う、身近な存在です。

だからこそ、出演者の交代は番組の空気そのものを変える出来事でもありました。


その後、「同時に変えない」ケースが増えていく

ここで面白いのが、その後の歴史です。もちろん、1993年以降ずっと「必ず1人ずつ交代する」という明文化されたルールが存在したわけではありません。例えば実際、1999年には、杉田あきひろさんとつのだりょうこさんが同時に登場しています。ですから、

「1993年の失敗を受け、NHKが翌年から完全な交代システムを導入した」

と説明するのは正確ではありません。

ただ、その後の歴史を振り返ると、出演者の交代時期をずらし、番組の中に経験者を残しながら新しい出演者を迎えるケースが見られるようになります。

その象徴的な例が、2008年から2017年にかけての「だいたく」から「だいあつ」への移行です。

2008年。今井ゆうぞうさん・はいだしょうこさんが卒業し、後任として横山だいすけさんと三谷たくみさんが同時に登場しました。この2人は、後に8年間にわたって番組を支える名コンビとなります。

そして2016年。

三谷たくみさんが卒業し、後任として小野あつこさんが加入。このとき、横山だいすけさんは番組に残りました。つまり、

たくみ → あつこ

と、うたのおねえさんが交代する一方で、うたのおにいさんはそのまま。そして翌2017年、今度は横山だいすけさんが卒業し、花田ゆういちろうさんが加入しました。結果として、

2008年 だいすけ+たくみ
↓
2016年 だいすけ+あつこ
↓
2017年 ゆういちろう+あつこ

という、1年ずつずれたバトンタッチが生まれています。これが、現在の『おかあさんといっしょ』を考えるうえで、とても興味深いポイントです。

新しい出演者が入る。しかし、同時に番組の経験者が残っている。だから、番組そのものが突然「総入れ替え」になるわけではない。言ってしまえば、ベテランが新メンバーを支える橋渡し役になるわけです。

私はこれを、この番組の「防波堤システム」と呼びたい。

もちろん、NHKが公式に「防波堤システム」と呼んでいるわけではありません。あくまで、長い歴史を振り返ったときに見えてくる、番組運営上のひとつの特徴です。

そして、この「交代を一気に進めない」という考え方は、結果として『おかあさんといっしょ』の長い歴史を支える重要な要素になっていきました。

🔗【関連記事】私がこの心の防波堤と名付けたきっかけになったのが、だいたくコンビの交代劇。その時の番組の置かれた状況について詳しくはこちらから


ただし。

ここから先は、話が少し変わります。

なぜなら、この「出演者の交代」が単なる人事ではなく、歌、DVD、コンサート、グッズ、そして卒業という一大イベントまで含めた現在の『おかあさんといっしょ』の仕組みと結びついてくるからです。

その「卒業」というイベントが、現在どのような役割を果たしているのか。そして、なぜ「卒業」が番組にとって大きな意味を持つようになったのか。その話は、第3章で改めて発掘していきましょう。


第2章:時代を繋いだお兄さん・お姉さんたちの覚醒

三谷たくみ――8年かけて完成した「うたのおねえさん」

2008年4月、まだ音大生だった三谷たくみさんが、第20代うたのおねえさんに就任しました。相棒は、同期の第11代うたのおにいさん・横山だいすけさん。2016年3月までの8年間、「だいたくコンビ」として番組の中心を担います。

最初から完成されたスターだったわけではありません。毎朝歌い、子どもたちの反応を受けながら、「うたのおねえさん」という役を少しずつ自分のものにして、やがて「たくみおねえさん」と呼ばれる存在になっていきました。

NHKエデュケーショナルの60周年記念商品でも、2人の時代は「2008年4月〜2016年3月」として独立して記録され、「まんまるスマイル」「ありがとうの花」「ドコノコノキノコ」などの代表曲が並びます。

一人の新人が、8年かけて番組の記憶になる。それが、たくみおねえさんという「完成形」の正体です。

🔗【関連記事】うたのおねえさん歴代最長なのには理由がある。三谷たくみさん(たくみおねえさん)について詳しくはこちらから

小野あつこ――コロナ禍でも、朝を続けた

2016年4月、三谷たくみさんの後任として、第21代うたのおねえさん・小野あつこさんが就任しました。以降、2022年4月までの約6年間、子どもたちの朝を支えます。

その後半に待っていたのが、新型コロナウイルスの流行です。2020年、学校も外出も友達との遊びも制限されました。『おかあさんといっしょ』も例外ではなく、出演者と子どもたちが同じ空間で歌い、踊るという、番組の大切な要素が簡単には作れなくなったのです。

それでも番組は、収録方法を工夫し、出演者同士の距離を確保するなど感染対策を取りながら、放送を続けました。不安なニュースが続く毎日に、いつもの歌声が流れる。「今日も『おかあさんといっしょ』がある」ことそのものが、子どもたちの日常を支える柱だったのではないでしょうか。もちろん、小野さん一人の力ではなく、出演者もスタッフも、多くの人が支えた結果です。

コンサートも、形を見直さなければなりませんでした。目の前で歌えなくても、画面の向こうへ届ける。条件が変わっても、「子どもたちに歌を届ける」という役割は変わりません。

2022年4月、小野さんはそのバトンを次へ渡して卒業しました。三谷たくみさんが「時間をかけて完成させる」物語を見せたなら、小野あつこさんが見せたのは、「どんな時代でも、番組を続ける」という覚悟でした。

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2-3 花田ゆういちろう――10年目のアンカー

2017年4月、横山だいすけさんの後任として、第12代うたのおにいさん・花田ゆういちろうさんが加入しました。隣にいたのは、前年に加入した小野あつこさん。「新人のおにいさん+先輩のおねえさん」という組み合わせでのスタートでした(NHKエデュケーショナルの60周年記念CDでも、2人の時代は「2017年4月〜」と記録されています)。

2022年にあつこさんが卒業し、ながたまやさんが加入。今度は「経験者のおにいさん+新人のおねえさん」になります。そのあいだに、体操のおにいさんも誠さんから和夢さんへ交代。おねえさんの方もあづきさんからアンジュさんに交代しました。そして2026年、ゆういちろうさんは10年目を迎えます。

あつこさんの時代も、コロナ禍の番組も、まやさんの加入も、体操のおにいさん・おねえさんのの交代も、同じ画面の中で見届けてきました。新しいおねえさんが入っても、新しいキャラクターが登場しても、「あ、ゆういちろうおにいさんがいる」と思える。船を止める錨(アンカー)のように、番組の過去と現在をつなぐ人です。もちろんNHKが公式にそう位置づけているわけではなく、10年という時間を振り返ると見えてくる役割です。

第1章で見た「防波堤システム」の延長線上に、新人だった人がいつの間にか迎える側になっていた。それは、長寿番組ならではの、とても静かな「覚醒劇」なのではないでしょうか。

🔗【関連記事】毎朝そこにいる。気づけば10年——。毎年2月に、おかいつ界隈を騒がせる男。花田ゆういちろうさんの歴史をたどった記事はこちらから


第3章:卒業は、いつしかビジネスになった

3-1  2月はなぜ、ざわつく?――「卒業」という節目の正体

1993年の一斉交代のあと、歌のおにいさん・おねえさんの交代は、同時に行われる流れが続いていました。その流れが変わったのが2016年、三谷たくみさんが卒業しても、横山だいすけさんが番組に残った年です。

ファンが一斉に注目する「卒業」は、CDやDVD、コンサート、グッズといった、放送の外の展開とも結びつきやすい節目です。たくみさんの卒業と、翌年のだいすけさんの卒業が2年続いたことで、番組の世界を楽しむ機会も2年続いた。あくまで私の考察ですが、そう見ることもできます。

🔗【関連記事】この「ずれ」が生まれた背景と、毎年2月の「ざわつき」の始まりは、こちらの記事で詳しく書いています。

3-2 NHKエデュケーショナルが支えるEテレ経済圏

第1章で触れたNHKエデュケーショナルは、いまの「おかいつ」の広がりを支える会社でもあります。事業内容には、番組の企画・制作に加えて、イベントの企画・実施、各種権利ビジネスが並びます。番組を作ることと、番組から生まれた歌やキャラクターを放送の外へ広げることが、同じ会社の仕事の中にあるわけです。

出発点は、あくまで教育・学びの専門化でした。その専門性があったからこそ、結果として放送の外の展開も、事業の柱のひとつになっていった。そう見るのが実態に近いでしょう。

🔗【関連記事】3-1で見た「卒業」という節目で、番組の世界が放送の外へ広がっていく背景には、こうした仕組みがあると考えられます。具体的な仕組みについては、こちらの記事で詳しく書いています。

では、その番組の「顔」であるおねえさんたちは、どんな人たちだったのでしょうか。次の章で、その素顔をのぞいてみましょう。

第4章:5人のうたのおねえさんに見る「不完全の美学」

第2章のたくみさん・あつこさんとは別に、ここでは残る5人のおねえさんに注目します。経歴も時代もバラバラな5人ですが、共通するものがひとつありました。完璧に見えて、どこか人間味がある、ということです。

4-1 神崎ゆう子——完璧な歌姫の、人間味のある素顔

1987年から6年間、第16代うたのおねえさんを務めた神崎ゆう子さんは、音楽大学在学中に抜擢され、NHK東京放送児童合唱団にも13年間在籍した、いわば「生え抜きのエリート」でした。

ところが現場で見えてきたのは、完璧な歌姫のイメージとは少し違う素顔です。本番中、落語家・古今亭志ん輔さんのアドリブに本気で目を泳がせ、最後は素で大笑いしてしまう。

自分のプロフィールには「泣き虫、食欲旺盛」と書いてしまう。そんな「おねえさんだって人間だもの」という愛すべき隙が、親たちの心をつかんだのではないでしょうか。





🔗【関連記事】おさゆうコンビでお馴染みのゆう子おねえさん。詳しくまとめた記事はこちらから

4-2 茂森あゆみ――「歌えない。」から始まった等身大のおねえさん

1993年4月に第17代うたのおねえさんに就任した茂森あゆみさんは、オペラ歌手を夢見る声楽の学生で、オーディションも「コンクールの練習のつもり」で受けたといいます。

番組のこともよく知らないまま合格した彼女を待っていたのは、クラシックの発声では「犬のおまわりさん」のような童謡がうまく歌えない、バレエの優雅な動きが子ども向けのダンスに合わない、という戸惑いの日々でした。

それでも「歴代の真似をする必要はない、あなたのままでいい」という言葉で肩の力が抜け、等身大の笑顔で子どもたちの心をつかんでいきます。

速水けんたろうさんとのコンビは、1999年の『だんご3兄弟』の社会現象へ。「できない」ところから始まった試行錯誤こそが、愛された理由だったのではないでしょうか。

🔗【関連記事】いまだに、視聴者に愛され続けてる、「けんあゆコンビ」の一角。あゆみおねえさんについては、こちらに詳しくまとめています。

4-3 つのだりょうこ――社会現象の直後に、等身大で立った4年間

1999年4月、杉田あきひろさんと同時に、第18代うたのおねえさんに就任したつのだりょうこさん。前任の茂森あゆみさんの時代に『だんご3兄弟』が社会現象になった、そのすぐ後という異例のタイミングでした。

しかも出身は声楽ではなく、武蔵野音楽大学のピアノ専攻。のちに明かされた採用の決め手は、技術よりも「声質の良さ」だったといいます。

周囲の比較や時代の熱狂に流されず、子どもたちと同じ目線で語りかけた4年間は、「歌の専門家ではなかったからこその愛され方」だったのかもしれません。

🔗【関連記事】本文にも書きましたが、これほど楽しいこと、辛いことがないまぜになった二人ではないかと思う「あきりょうコンビ」の1人。りょうこおねえさんについては、こちらをご覧ください。

4-4 はいだしょうこ――歌は超一流、絵は「画伯」

2003年に第19代うたのおねえさんに就任したはいだしょうこさんは、宝塚歌劇団出身で、歌唱力は歴代でもトップクラスと言われる実力派でした。

ところが2006年、人形劇のキャラクター「スプー」を描く企画で、描き上がった絵が思わぬ伝説になります。隣で正しいスプーを描いていた今井ゆうぞうさんの「画伯……!」という一幕とともに、「はいだ画伯」という愛称が定着していきました。

完璧な歌声と、大真面目に描いた絵とのギャップ。その落差が、「雲の上の歌姫」を一気に身近な「しょうこおねえさん」にしたのではないでしょうか。

🔗【関連記事】ぼよよん行進曲でおなじみ。「ゆうしょうコンビ」のしょうこおねえさん。RPG仕立ての詳細な記事はこちらから。

4-5 ながたまや――「憧れ」より「安心」を届けるおねえさん

2022年4月、第22代うたのおねえさんに就任したながたまやさんのデビュー曲は、水野良樹さん作詞作曲の『うらら』。

5歳の卒園文集に「NHKのおねえさんになりたい」と書き、その夢を貫いて就任した人です。ところが素顔は、公式プロフィールの特技に「変顔」や「寝ると忘れる」を並べる等身大。約20分間歌い続けた2022年のファミリーコンサートでは、共演のゆういちろうさんが「結構フラフラでした」と振り返るほどの舞台も、笑顔でやり切りました。

華やかな「憧れの歌姫」というより、画面のこちら側へ寄り添う飾らなさ。それが、忙しい朝にホッとする「うららかな安心感」の正体だったのではないでしょうか。

🔗【関連記事】現在もお茶の間の忙しい朝を支えてくれてる「ゆうまやコンビ」でおなじみのまやおねえさん。うららかな春の光のような雰囲気を紐解く記事はこちらから。

それぞれの個性が光る、7人のおねえさん

第4章の5人と、第2章で見たたくみさん・あつこさん。こうして並べてみると、時代背景もバックボーンも本当にバラバラです。完璧に見えて隙のある人、「できない」ところから始まった人、飾らない等身大の人。

それでも、調べるほどに見えてきた共通点がありました。

「より良い番組を届けたい」
「より多くの子どもたちに歌を届けたい」

やり方は違っても、みんな同じ方向を向いていたのだと、私は感じました。完璧ではなかったからこそ、その真っすぐさが、子どもたちにも親にも伝わったのかもしれません。

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第5章:『にこにこ、ぷん』から『ファンターネ!』

人間の不完全さを愛せるなら、キャラクターたちの「違い」もまた愛おしい。ここからは、番組の世界を彩ってきた人形劇に目を向けてみましょう。

おねえさんたちが「人」の側から時代の変化を映してきたとすれば、人形劇のキャラクターは、その時代が思い描く「子どもらしさ」「男の子らしさ・女の子らしさ」を、より直接に映してきた存在です。そこで本章では、人物論から視点を切り替え、約40年にわたるキャラクターの移り変わりをたどります。

5-1 昭和の「役割分担」

『にこにこ、ぷん』の舞台は、厳しい自然環境の「にこにこ島」。主役の3人には、はっきりした役割がありました。

母を亡くし、独りで島に来たという設定のじゃじゃ丸は、自力で這い上がる「野生」の強さ。飛ぶ夢を諦めず、体型も気にするぴっころは、「根性」と美意識。名門の御曹司で、ハイスペックなのに打たれ弱いぽろりは、「エリート」の姿です。

野生・根性・エリートという昭和らしい役割分担が、ドタバタ劇の中で、くっきりと描かれていたのです。

5-2 令和の「多様性」

1992年に『にこにこ、ぷん』が終わったのは、バブル崩壊の時期と重なります。この偶然の一致を、NHKが「昭和の美徳」を見直し始めた表れだと見るのは、あくまで私の見立てです。

確かなのは、そのあと『ドレミファ・どーなっつ!』『ぐ〜チョコランタン』『ポコポッテイト』『ガラピコぷ〜』と続く中で、キャラクターたちの描き方が、役割の押し付けから個性の共存へと移っていったことです。

そして2022年、『ファンターネ!』が理念に掲げたのは「可能性と多様性」。ライオンの男の子ルチータがバレエを楽しむ姿は、「男の子はこうあるべき」という昭和の常識から、ずいぶん遠くへ来たことを教えてくれます。

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終章:完璧じゃないから、親子の隣にいられた

初期の『おかあさんといっしょ』の映像は、ほとんど残っていません。けれど、映像が残っていないからこそ、私たちの記憶に残ったのは「完璧な映像」ではなく、「人間らしいエピソード」だったのかもしれません。

ここまでの旅を、ひとつにまとめてみます。

放送が終われば消えかねなかった番組は、時間をかけて「残し、育てる」番組になりました。

交代の衝撃を和らげるために経験者を残す「防波堤」も、完璧な交代など存在しないことを知っているからこその知恵に見えます。たくみさんの「完成形」も、あつこさんの覚悟も、ゆういちろうさんのアンカーも、不安や制約の中で積み重ねた時間でした。

5人のおねえさんには、完璧に見えて、どこか人間味のある隙がありました。昭和の役割分担を背負っていたキャラクターたちは、令和には「みんな違ってみんないい」という場所にたどり着きました。

失われた両腕も含めて愛されるミロのヴィーナスのように、おかいつも、完璧だったから愛されたのではありません。完璧じゃなかったから、画面のこちら側の、忙しい朝の親子の隣にいられたのかもしれません。。

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