だんご3兄弟の”直後”という前代未聞のバトン ―18代うたのおねえさん・つのだりょうこ論

レトロなアニメ風イラスト。薄暗い書斎で、戸惑う老人(魔法使い/占星術師風)と笑顔の若い女性(子ども番組のおねえさん風)が、串に刺さったお団子(三色だんご)を手に持っている。背景には古い巻物や天体儀、光る水晶玉が置かれている。
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ノストラダムスも予言できなかった「おかあさんといっしょ」のパラドックス

ノストラダムスが恐怖の大魔王が降ってくると煽り倒した。
西暦1999年。
「おかあさんといっしょ」においても

空前絶後の大ヒットの直後にバトンを受け取るという
恐怖に立ち向かうおねえさんがいた――。

皆さん、こんにちは。NHK考古学でおなじみのけだま。です。

おどろおどろしい書き出しになった今回の記事それには理由があります。

もう世界の終わりだと一部で騒がれていた1999年。その「4の月」。おかあさんといっしょにも世代交代が起こりました。

しかし、その交代劇の舞台裏は、ある意味でノストラダムスの予言以上に緊迫したものだったのかもしれません。

なぜなら、新しく就任するおねえさんの背後には、当時の日本中を文字通り狂乱させた「あの3兄弟」の巨大な影が迫っていたからです。

「1999年春の『おかいつ』といえば……そう、日本中がだんご、だんご、だんごと、文字通り串に刺さったように熱狂していたあの狂騒曲の真っ只中ですね」

なぜ1999年4月は、歴代で最も過酷なバトンタッチと言えるのか?

「後任人事が固まった時点では、あの曲があそこまでの化け物ヒットになるとは、誰も知らなかった」

これこそが、18代うたのおねえさん・つのだりょうこさんが直面することになった、前代未聞のジレンマの正体です。

当時の制作スケジュールや、一般的に公表されている確定情報から逆算すると、新旧おねえさんのバトンタッチがいかに「恐怖しかない地獄のタイミング」で行われていたかが浮かび上がってきます。

当時のタイムラインを整理してみましょう。

年月日(1999年)「だんご3兄弟」の動き(社会現象)つのだりょうこさんの動き(舞台裏)
1月「今月のうた」で初披露 → 異例の大反響(※推測:この前後で後任人事が内定か)
2月予約殺到・出荷80万枚!前任コンビの卒業発表・引き継ぎ期間
3月3日CD発売、3日間でミリオン達成プレッシャーが頂点に達する時期
4月5日番組内で「だんご」の余韻が続く18代目うたのおねえさんとして初登場

もちろん、番組の制作スケジュールや後任人事がいつ正式に固まったのか、その正確な日付を記した一次資料は公表されていません。

しかし、一般的なテレビ番組の改編スケジュールや引き継ぎ期間を考えれば、りょうこおねえさんの就任が内定したのは「だんご3兄弟」が社会現象になる前、あるいはその火がつき始めたばかりの時期だったと推測するのが自然でしょう。

つまり、りょうこおねえさんは「アットホームで、いつも通りの大好きな番組」の暖簾をくぐろうとした瞬間に、突如として「誰も経験したことのないミリオンセラー番組」へと変貌した現場に放り込まれることになったのです。

前任の速水けんたろうさん・茂森あゆみさんというレジェンドコンビが残した偉大すぎる足跡。そして、日本中が「だんご」一色に染まる中で迎えた4月5日の初登場。

このあまりにも重すぎるバトンを、彼女はどのように受け取ったのでしょうか。

私がもしこのタイミングで『次よろしく!』って言われたら、初日のスタジオで確実に胃に穴が空いてますね…。

そして、空いた胃の穴に入りたいと思うでしょうね。

歌科ではなく「ピアノ専攻」。異例の抜擢をたぐり寄せたものとは?

前代未聞の「だんご狂騒曲」という時代の荒波。それだけでも目眩がするほどのプレッシャーですが、りょうこおねえさんには、もう一つの大きな「アウェー感」がのしかかっていました。

それが、彼女のバックボーンです。

歴代のうたのおねえさんの多くは、音大の声楽科出身や宝塚歌劇団出身など、いわば「歌の専門教育」をゴリゴリに受けてきたエリートたち。

前任の茂森あゆみさんも武蔵野音楽大学の声楽学科首席卒業という、まばゆいばかりの「本流」でした。

しかし、りょうこおねえさんの経歴は異例中の異例でした。彼女の出身は、同じ武蔵野音楽大学でも声楽ではなく、「音楽学部 器楽学科 ピアノ専攻」

野球に例えるなら、名門校の『エースピッチャー(声楽科)』が抜けた後に、なぜか『内野手(ピアノ専攻)』がマウンドに呼ばれたようなもの。

この大抜擢はかなりの衝撃があったことでしょうね。

つまり、歌を専門に学ぶ学科ではなく、鍵盤に向かって楽器の技術を磨く学科の学生だったのです。

「歌の専門家ではない」という事実は、悪意のない周囲の目線さえも刃に変えたかもしれません。

時代が「だんご」で狂い、前任者への恋恋たる未練が渦巻く中での、異例の器楽科からの抜擢。まさに「二重のプレッシャー」が、彼女の細い肩にのしかかっていたのです。

では、なぜ番組制作陣は、あえて声楽科ではなく「ピアノ専攻」の彼女を選んだのでしょうか。

そこには、当時のオーディション審査員をも唸らせたと言われている、彼女だけの「最大の武器」がありました。のちに明かされた採用理由は、技術や声量を超えたところにある「圧倒的な声質の良さ」。

それは、訓練によって作り込まれたソプラノの美声ではなく、子どもたちの耳にすっと馴染み、心に直接届く、天性の「おねえさんの声」だったのです。

楽譜を深く読み解くピアノ専攻ならではの音楽的素養と、誰にも真似できない奇跡の声質。

この2つが掛け合わさったからこそ、彼女は「本流」の壁を突き破り、18代目の座をその手でたぐり寄せることができたのでした。

だんごの影を振り払い、りょうこおねえさんが刻んだ「独自の4年間」とは?

凄まじい逆風とプレッシャーの中で幕を開けた、りょうこお姉さんの「うたのおねえさん」時代。

しかし彼女は、前任者の幻影や「だんご」の熱狂に呑まれることはありませんでした。

りょうこおねえさんが選んだのは、誰かの真似をするのではなく、自分の等身大の魅力を信じること。

ピアノ専攻ならではの確かな音感と、採用の決め手となったあの温かい「声質」を武器に、彼女は少しずつ、しかし確実に「りょうこおねえさん」としての世界を築き上げていきます。

スタジオやファミリーコンサートで、子どもたちと同じ目線で優しく語りかける彼女の姿は、狂騒に疲れた視聴者の心をじんわりと癒やしていきました。

結果として、彼女が駆け抜けた4年間は、番組の歴史にしっかりと刻まれる「独自の黄金期」となったのです。

「最初は『だんごの直後のおねえさん』と見られていたのが、

いつの間にか『親しみやすさバツグンのりょうこおねえさん』として、お茶の間のアイドルになっていったんですよね。

これぞまさに実力突破です」

その証拠に、彼女とNHK、そして子どもたちとの深い縁は、2003年の番組卒業を境に途切れるどころか、さらに大きく広がっていくことになります。

卒業後すぐにスタートしたBSの幼児番組『ブラボー!しんすけの夢りんりん丸』への出演をはじめ、Eテレの人気育児情報番組『すくすく子育て』の司会を務めるなど、NHKの子ども向けメディアにおいて彼女は長く「信頼されるパートナー」であり続けました。

さらにその情熱は、現在の活動にも直結しています。りょうこおねえさんは現在、幼児教育において重要な「リトミック(音楽を使った身体教育)」の講師として、子どもたちに音楽の楽しさを直接伝える活動を続けています。

リトミックの話を聞いて思い出したのが、りょうこおねえさんの歌のおねえさんにしては珍しい、きれいな側転の披露。

歴代うたのおねえさんの中でも運動神経が随一でしたね~。

かつて「ピアノ専攻」という異例のバックボーンからスタートした彼女が、うたのおねえさんという大役を経て、再び「音楽と子どもたちを繋ぐ場所」へと還ってきた――。

周囲の大きな声や時代の狂騒に惑わされず、一歩一歩進んできたその足跡こそが、彼女がだんごの影を完全に振り払い、自分だけの美しい道を切り拓いた何よりの証明なのです。

杉田あきひろさん~あきりょうコンビの絆

あのあまりにも過酷な1999年春を、まったく同じ立場で、同じ重圧を背負いながら駆け抜けた唯一無二の存在――

それが、同時就任・同時卒業を果たした同期、9代目うたのおにいさん・あきひろおにいさんでした。

時代に翻弄された「あきりょう」コンビが紡いだ絆は、番組を卒業し、どれほど長い年月が経とうとも決して色褪せることはありませんでした。

2021年、厚生労働省関連のイベントで久々の公の場での再会を果たした際、りょうこおねえさんはあきひろおにいさんを前に、涙ながらに当時の、そして今も変わらない、深い後悔しながらも、これからに向き合おうとする気持ちを語っています。

かつて誰も知らない荒波の中へ共に飛び込んだ戦友の歩みを、誰よりも近くで信じ、エールを送り続ける。

それこそが、幾多の重圧を乗り越えて自分だけの道を切り拓いたりょうこおねえさんが、今なお大切に守り続けている、もう一つの温かく強い絆の姿なのです。

過酷な時代を共に戦い抜いた二人だからこそ、言葉にせずとも通じ合うものがあるんでしょうね。

りょうこおねえさんの温かい涙が、そのすべてを物語っています

1999年の”恐怖の大魔王”は、ただの入り口だった

1999年、世界を騒がせた「世紀末の予言」はただの杞憂に終わりました。しかし、幼児番組の歴史において本当に恐ろしかったのは、予言ではなく「だんご3兄弟の直後」という前代未聞のバトンだったのかもしれません。

「異例のピアノ専攻」というアウェー感と「未曾有の社会現象」という二重のプレッシャー。そのあまりにも重すぎる重圧に晒されながらも、りょうこおねえさんは決して自分を見失いませんでした。

他者と比較される日々を実力で跳ね除け、駆け抜けたかけがえのないの4年間。その歩みは卒業後のEテレでの活躍、そして現在のリトミック講師としての活動へと一本の美しい線で繋がっています。

周囲の狂騒に惑わされず、大切な人たちとの絆を胸に、今も自分の道を切り拓き続けるその姿。それこそが、私たちが今なお「りょうこおねえさん」を愛してやまない最大の理由であると感じずにはいられません。

今回振り返ってみて、りょうこおねえさんの持ち前の突破力を見くびって、心配しながら応援していた私の未熟さに恥じ入るばかりです…

ああ!穴があったら入りたい!

あれ?そういえば先ほど胃に、私が入れるほどの大きい穴開きましたよね!

【※関連記事】りょうこおねえさんを始め、歴代うたのおねえさんの功績をまとめた記事はこちらから

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