🔍今回の発掘テーマ
オペラ歌手を目指していた一人の少女は、なぜ「歴代屈指の愛されるうたのおねえさん」になったのか。
天然と言われ、ポンコツ伝説まで語り継がれる茂森あゆみさん。
しかし、その裏には数え切れない試行錯誤と、自分らしさを見つけるまでの物語がありました。
偶然受かったクラシック少女。「おかあさんといっしょ」との出会い
オペラ歌手一直線だった学生時代
1990年代の『おかあさんといっしょ』で圧倒的な人気を誇り、あの『だんご3兄弟』で日本中に社会現象を巻き起こした、第17代うたのおねえさん・茂森あゆみさん。
テレビで見せるじつに堂々とした姿から、
「きっと小さい頃から『うたのおねえさん』になる英才教育を受けてきたエリートなのだろう」
と思われがちですが、実はまったくの逆でした。
彼女はもともと、子ども番組とは180度違う「ガチガチのクラシックの世界」で生きていた人なのです。
熊本県出身の3人姉妹の末っ子として育った彼女は、幼少期からクラシック・バレエと声楽を本格的に学んでいました。
高校卒業後は名門・武蔵野音楽大学で声楽を専攻し、(しかも後に主席で卒業!)将来は本気で「オペラ歌手」になることを夢見て、日々ソプラノの発声練習に励むクラシック界の若きエリート少女でした。
「コンクールの練習」のつもりで受けたオーディション
そんなオペラ歌手一直線だった彼女の運命をガラリと変える転機は、大学時代、唐突に訪れます。ある日、声楽の教授からこのように声をかけられたのです。
「あゆみさん、今度NHKでオーディションがあるから、コンクールの練習のつもりで受けてみなさい」
それは「うたのおねえさん」のオーディションでした。教授としては、将来オペラなどの大きな舞台に立つための「場慣れ」や「記念受験」として、愛弟子を送り出すつもりだったのでしょう。
驚くべきことに、当時の彼女は『おかあさんといっしょ』という番組の存在すら、よく知らなかったといいます。
幼少期からテレビに齧りつく暇もないほどクラシック一筋の生活を送っていたため、子ども番組に触れる機会がほとんどなかったのです。
そのため、オーディション当日も「絶対にうたのおねえさんになってやる!」という野望や気負いは一切ありませんでした。
頭の中にあったのは、とにかく「声楽の練習、練習……」ということだけ。ある意味、非常にリラックスした状態でステージに立ったわけです。
周りの受験者たちが「このチャンスに人生をかけています!」と張り詰めた空気を漂わせる中、一人だけまったく違う次元の目的で歌っていた彼女ですが、人生とは本当に何が起こるか分かりません。
NHKの審査員たちの目を釘付けにしたのは、まさにその「番組をよく知らないがゆえの姿」だったのです。
「うたのおねえさんとは、こういう風に振る舞うものだ」という固定観念が一切なく、ガチガチに作り込まれていない彼女の姿。
その「飾らない魅力」や、どこか初々しい「素人っぽさ(新鮮さ)」が、審査員たちの心に深く刺さりました。その結果、並み居るライバルたちを押し除け、満場一致で見事合格を果たしてしまいます。
しかし、番組の勝手すらよく知らないクラシック少女が、いきなり明日から「全国の子どもたちの憧れのおねえさん」になれと言われて、すんなりいくはずがありません。
ここから、彼女の「愛すべき試行錯誤(ポンコツ)伝説」が幕を開けることになるのです。
童謡も踊りも全部できない!?就任直後のポンコツ伝説
◆ ポンコツエピソード①:
『犬のおまわりさん』が歌えない
見事にオーディションを勝ち抜いた彼女でしたが、いざ番組が始まると、前代未聞の大きな壁にぶつかることになります。
なんと、誰もが知る名曲『犬のおまわりさん』が上手く歌えなかったのです。
その原因は、彼女がこれまで命をかけて磨いてきた「クラシックの発声」にありました。
オペラのソプラノ歌手を目指していた彼女の歌声は、高音域で美しく響くように作られています。
しかし、日本の童謡は子どもたちが歌いやすいように、比較的低い音域で作曲されていることが多いのです。
本格的なソプラノ発声しか知らなかった彼女にとって、童謡の「低い音域」をどう表現すればいいのかが分からず、大苦戦。
「本当にこれで合っているのかな……」
と、マイクを前に毎日一人で葛藤し、試行錯誤を繰り返す日々が続きました。
◆ ポンコツエピソード②:
バレエの癖が抜けない
さらに彼女を悩ませたのが、歌と同時にこなさなければならない「ダンス(踊り)」でした。
幼少期から本格的にクラシック・バレエを叩き込まれてきた彼女の動きは、指先までしなやかに伸ばし、腕を優雅に運ぶという、あまりにも上品で美しいものでした。
しかし、ここは子ども番組のスタジオです。テレビの前の小さな子どもたちにしっかりと動きを伝えるためには、何よりも分かりやすくて元気な動きが求められます。
そのため、番組スタッフからは毎日「もっとパッと大きく動いて!」と熱血指導を受ける日々だったことでしょう。
長年身体に染み付いた「優雅すぎる癖」が抜けず、子ども向けダンスのポップな動きとのギャップに、毎日のように戸惑い、頭を抱えていたそうです。
◆ 真面目すぎて空回りした日々
こうした「できないことだらけ」の自分に直面しながらも、彼女は決して投げ出しませんでした。
むしろ、人一倍強い責任感から、自分を極限まで追い込んでいくことになります。
当時の彼女のスケジュールは、今振り返っても信じられないほど過酷なものでした。
平日はテレビ収録と大学の授業をこなし、週末になれば全国を飛び回るコンサート巡業だったと言われています。
しかも、当時は実家を離れて「一人暮らし」を始めたばかりの時期で、食事も外食に頼らずしっかり「自炊」をしようと奮闘していたのです。
「うたのおねえさん」という国民的な大役に加え、大学生活と初めての一人暮らし。
これらすべてを同時に完璧にこなそうとした結果、体は悲鳴を上げました。
不慣れな環境と「ちゃんとしなきゃ」という真面目さゆえのストレスから、ついには帯状疱疹を発症してしまうほど、心身ともにボロボロに追い詰められていたのです。
これは決して単なる「ポンコツ」ではなく、彼女がどれほど誠実に、そして必死に「おねえさん」という仕事に向き合っていたかが伝わる、胸が熱くなるような努力の裏話です。
「あなたはあなたでいい」で覚醒した瞬間
歴代おねえさんの呪縛
心身ともに追い詰められていた就任当初の彼女の心を、何より重く支配していたもの。それは「歴代のおねえさんたちの呪縛」でした。
『おかあさんといっしょ』には、何十年にもわたって先輩たちが築き上げてきた、輝かしい歴史と伝統があります。
「うたのおねえさんとは、常に完璧に、美しく、子どもたちの模範となるように歌い、振る舞わなければならない」――
彼女は無意識のうちに、その高すぎる壁と自分を比較し、プレッシャーでがんじがらめになっていたのです。
歴代の先輩たちのように歌わなければ。
完璧な「おねえさん」を演じなければ。
そう思い込めば思い込むほど、空回りのスパイラルから抜け出せなくなっていきました。
【関連記事】なぜ、彼女はそこまで追い詰められていたのでしょうか?そこには「けんあゆコンビ」が抱えた1993・春の特殊な事情がありました。それは一体どういう事か?詳しくはこちらからご覧ください。

◆ 救いの言葉と覚醒
そんな風に、暗闇の中で一人もがいていた彼女の元に、ある日、救いの言葉が届きます。彼女の苦悩を見ていた「ある人」から、このように声をかけられたのです。
「あゆみさん、歴代のおねえさんの真似をする必要なんてないんだよ。あなたは、あなたのままでいいんだから」
この一言は、彼女の張り詰めていた心を一瞬で解きほぐしました。「完璧なおねえさん」という型にはまる必要はない。自分は自分のままで、目の前の子どもたちに歌を届ければいいんだ――。
肩の荷がふっと下りた彼女は、ここから真の覚醒を遂げることになります。
クラシックの殻を破り、型にハメるのをやめ、等身大の「茂森あゆみ」としてカメラの前に立つ。
そうして見つけた自分らしい歌い方と弾けるような笑顔は、テレビの前の子供たち、そしてお茶の間の親たちの心を瞬く間に魅了していきました。
『ドレミファ・どーなっつ』と名曲が育てた、けんあゆコンビ黄金時代
1993年4月、茂森あゆみさんは第8代うたのおにいさん・速水けんたろうさんとコンビを組みます。
ファンの間で今も語り継がれる伝説の「けんあゆコンビ」の誕生です。
当時、番組の代名詞だった『にこにこ、ぷん』の後を引き継ぎ、新たにスタートした着ぐるみ人形劇が『ドレミファ・どーなっつ!』でした。
大人気番組のバトンを受け取るという大きなプレッシャーの中、あゆみおねえさんはけんたろうおにいさんと共に、昭和から平成への過渡期を全力で駆け抜け、番組の新たな黄金時代を築き上げていくことになります。
この黄金期には、今なお色褪せない数々のヒット曲が生まれました。
※【関連記事】 『にこにこ、ぷん』から『ファンターネ!』まで、昭和から令和にいたる着ぐるみ人形劇の時代変化をまとめた特集記事はこちらからご覧いただけます。

◆ 『虫歯建設株式会社』が今も歌い継がれる理由
けんあゆ時代の名曲として、真っ先にこの曲を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。それが『虫歯建設株式会社』です。
この曲が今もなお現役のうたのおねえさん・おにいさんたちに歌い継がれている理由は、その圧倒的な「子どもたちの心を掴む楽しさ」にあります。
一見、子どもたちが嫌がる「虫歯」というテーマを、ロック調のカッコいいメロディとコミカルな世界観で表現したこの曲は、当時の子どもたちに大ウケしました。
何より、あゆみおねえさんの「クラシック仕込みの圧倒的な表現力」が、この曲のコミカルさを一段上のエンターテインメントへと昇華させていました。
真面目に、そして全力で楽しそうに歌うおねえさんの姿があったからこそ、この曲は時代を超えるスタンダードナンバーとなったのです。
◆ 『あさごはんマーチ』が愛された理由
毎日の朝のバタバタをハッピーに変えてくれる名曲『あさごはんマーチ』も、この時代に生まれ、親子から絶大な支持を集めました。
朝ごはんの大切さを軽快なマーチに乗せて伝えるこの曲は、毎朝の戦いのような育児時間に寄り添う「朝の定番ソング」として定着していきます。
ただ義務的に「ご飯を食べなさい」と言うのではなく、弾むようなリズムとあゆみおねえさんの温かい歌声で「食べる楽しさ」を届ける。
そのメッセージ性が、テレビの前の子供たちだけでなく、日々奮闘する親たちの心をも優しく包み込み、今も愛される背景となっています。
◆ 『にじのむこうに』が定番ソングになった背景
そして、茂森あゆみさんの時代を代表する究極の一曲といえば、やはり『にじのむこうに』でしょう。
青空へと突き抜けるような明るいメロディと、未来への希望を歌ったこの曲は、番組の枠を飛び越え、全国の幼稚園や保育園、小学校でも歌われる大定番ソングとなりました。
時代を超えて歌われ続ける理由は、この曲が持つ普遍的なエネルギーにあります。
そして、それを最初に世に送り出したあゆみおねえさんたちの歌声には、聴く人の心を一瞬で晴れやかにする特別な魔法がかかっていました。
この曲のヒットにより、「けんあゆコンビ」の存在は不動のものとなったのです。
◆ そして『だんご3兄弟』で社会現象へ
おねえさんとして円熟期を迎えた1999年、速水けんたろうさんとの名コンビは、ついに日本中を巻き込む空前の大ヒットを生み出します。
それが『だんご3兄弟』でした。
切なくもキャッチーなタンゴのリズムに乗せたこの曲は、子ども番組の枠を完全に超越。
CDは爆発的な売り上げを記録し、その年の『NHK紅白歌合戦』への出場を果たすなど、文字通りの社会現象となりました。
しかし、日本中の誰もが自分の名前を知り、街中に自分の歌声が流れるというあまりにも急激な狂騒の中で、本人の心境は少し違っていました。
国民的スターの頂点に立ちながらも、彼女の胸の奥には、どこか冷徹で、そして真面目な葛藤が常に渦巻いていたのです。
「私は本来、クラシックの世界に戻るはずだった……。本当に、このままでいいのだろうか」
スポットライトの中心で、彼女はなお、自分の進むべき未来について静かに悩み続けていました。
卒業後も終わらない。「学び続ける人」の物語
◆ ミュージカルで突きつけられた第二の壁
1999年、惜しまれつつも『おかあさんといっしょ』を卒業した茂森あゆみさん。
大ブレイクの余韻が冷めやらぬ中、彼女は大手芸能事務所のホリプロに所属し、次なる挑戦の舞台へと進みます。
それが、ミュージカル『星の王子さま』への出演でした。
「元・国民的うたのおねえさん」であり、誰もが認める圧倒的な歌唱力の持ち主。
周囲の期待も当然高かったわけですが、ここで彼女は、人生第二の大きな壁にぶつかることになります。
共演者であり、日本ミュージカル界の巨匠である市村正親さんから、稽古場でこのような厳しい言葉を突きつけられたのです。
「君は歌いきってしまっていて、詞(ことば)がまったく伝わってこない」
◆ プライドを捨て、もう一度学び直す
その言葉は、彼女のこれまでのキャリアを揺るがすほどの衝撃でした。
彼女がそれまでプライドを掛けて戦ってきた「クラシック(声楽)」の世界は、美しい声を響かせ、完璧に歌いきることに重きが置かれます。
しかし、「ミュージカル」の世界は違いました。歌はあくまでセリフの延長線上にあり、メロディの美しさ以上に「言葉の意味や感情を客観的に客席へ届けること」が求められたのです。
「完璧に歌えていること」と「心に伝わること」は、まったくの別物である――。
その決定的な違いを突きつけられた彼女は、ここでも立ち止まりませんでした。
元・国民的スターというプライドをすべて捨て去り、「私は一から学び直さなければいけない」と、再び貪欲な一人の生徒に戻ることを決意したのです。
発声の仕方はもちろん、言葉の一つひとつにどう感情を乗せるのか。
もがいていた若き日のように、表現者としてもう一度自分を作り直していく。
この飽くなき「学び続ける姿勢」こそが、彼女を単なる“過去のスター”で終わらせない、真の強さでした。
◆ 現在も歌を届け続ける存在へ
厳しい試練を乗り越え、表現者として一回りも二回りも大きくなった彼女は、その後も独自の歩みを続けていきます。
2002年には結婚を発表。現在は3児の母として忙しい日々を送りながらも、音楽活動の手を緩めることはありませんでした。
その代表例が、NHK Eテレで約10年間にわたり放送された音楽パペットバラエティ『クインテット』です。
彼女は歌劇団の歌姫「アリア」の声を担当し、クラシックの名曲を時に美しく、時にユーモラスに表現し続けました。
あの番組で、彼女が培ってきた「クラシックの確かな技術」と「ミュージカルで得た伝える力」が見事に融合し、再び多くの子どもたちと大人の心を掴んだのです。
偶然の合格から始まり、数々の「できないこと」にぶつかりながらも、その都度プライドを捨てて学び直してきた茂森あゆみさん。
3児の母となった今もなお、彼女は第一線に立ち、私たちに温かい「歌」を届け続けてくれています。
彼女の人生は、完璧だから美しいのではありません。
何度壁にぶつかっても、生真面目に、誠実に学び続けるその姿こそが、今も多くの人に愛され続ける「真の理由」なのです。
まとめ
茂森あゆみさんが今なお多くの人に愛され続けている理由。 それは、決して彼女が「天然だから」でも、「ポンコツだったから」でもありません。
歌えない音域に悩み、抜けないバレエの癖に戸惑い、大ヒットの裏で自分の進む道に葛藤する――。
そんな泥臭いほどの試行錯誤の果てに、プライドを捨てて「学び続けること」を選び、自分だけの輝きを見つけたからに他なりません。
だからこそ、彼女が残した数々の「ポンコツ伝説」は、決して単なる失敗談などではないのです。
それは、誰よりも誠実に、誰よりも懸命に努力を重ねてきた、美しくも愛すべき「足跡」そのものなのかもしれません。
※【関連記事】歴代うたのおねえさんにそれぞれある美しくも愛すべき「足跡」。
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