一言でいうと幕末日本で一番早く近代国家の設計図を見てしまった男。
ただ、残念ながら時代を動かす政治力には恵まれなかった――。
時代を動かす武力にも恵まれなかった――。
調べれば調べるほど面白い。小栗忠順という恵まれなかった一人の天才を、恵まれた時代にのほほんと暮らす、いつもの二人で紐解きます。
小栗忠順の爪の垢を煎じて呑みたい二人(初めての方へ)

後輩K:お金があったらあっただけ使っちゃう彼には、「オグリキャップの爪の垢」を煎じて呑ませたい。
どうか馬券が当たりますように…。



私:ひとっつも影響力の欠片もないブログ運営をしてる私は、「影響力の塊。小栗旬の爪の垢」を煎じて呑みたい。
どうか影響力が出ますように…。ついでに顔面偏差値上がりますように…。
小栗忠順ってどんな人?(人物紹介)



よし、来たな。本日は小栗忠順のあれこれについて語るとするぞ



おぐり…?ちゅう…。じゅん??
誰っすか??マジで一回も聞いた事ないっすけど



小栗忠順(おぐりただまさ)だ。確かに、綺羅星の如くビッグネームの並ぶ幕末維新において、小栗忠順はあるいは少し地味な存在かも知れん。
だがな?今から話す事をしっかり聞いていけば、なぜ私が自信をもって彼を勧めるのか、きっと分かるはずだ。
🔍小栗忠順ってこんな人。略歴をさらりと解説。
1827年(文政10年)、江戸生まれ。徳川幕府の旗本・小栗家に生まれ、幕府の役人として頭角を現します。
勘定奉行などの要職を歴任し、財政や外交、幕府の近代化に携わった実務派の幕臣でした。
大きな転機となったのが、1860年(万延元年)の遣米使節。アメリカの工業力を目の当たりにした小栗は、日本との圧倒的な差を実感します。
帰国後は幕府の近代化に奔走し、横須賀製鉄所の建設などを推進。
しかし時代は、幕府そのものを終わらせる方向へ進んでいました。
1868年(慶応4年)、戊辰戦争を経て幕府が崩壊すると小栗はクビに…。その後、新政府軍によって斬首。享年42歳でした。
……とまあ、略歴だけ追えば、ここまでは「有能な幕臣」で終わる話。
ところが、この男。調べれば調べるほど、とんでもなく面白い。



わー。凄え優秀な人だったんすねー。
勉強になりました。本日はありがとうございました。(棒読み)



ちょ、ちょっと待て!!お前なーんも聞いてなかったじゃないか!!
いいか?よく考えてみろ?お前がそんな塩対応するような人物をあの「皆様のNHK」が一年掛けて描くと思うか?
そうだよ。2027年大河ドラマの主役こそがまさにこの小栗忠順なんだよ。
なぜ2027年大河ドラマの主人公に?「逆賊の幕臣」
さて、ここで改めて気になるのが、「なぜ小栗忠順が2027年の大河ドラマの主人公に選ばれたのか?」ということ。
2027年大河ドラマは、松坂桃李さん主演の『逆賊の幕臣』。
幕末といえば、坂本龍馬や西郷隆盛、勝海舟など、誰もが知る人物がひしめく時代です。
その中で、なぜ小栗忠順なのか?
その答えは、ドラマのタイトルにも表れています。
「逆賊の幕臣」
小栗は徳川幕府の幕臣として日本の近代化を進めましたが、幕府の崩壊とともに新政府軍によって処刑されました。
つまり、新しい日本を作ろうと動きながら、その新しい時代を生きることができなかった男なのです。
では、なぜ彼は「逆賊」と呼ばれたのか?
そして、幕府のために働いた小栗が、日本に残したものとは何だったのか?
その答えを探るため、まずは彼がアメリカから持ち帰った「たった1本のネジ」から見てみましょう。
🔗【関連記事】1963年より始まり、通算65作品を数える大河ドラマ。
実はあまり知られていませんが、記念すべき第一作目も幕末が題材でした。
知られざる大河ドラマの昔話はこちらを参照してください。あわせて読みたい 4月7日は大河ドラマ放送開始記念日!歴史を学びたい後輩Kに「花の生涯」を熱説した結果…… 4月7日は大河ドラマ放送開始記念日!第1作『花の生涯』の主人公・井伊直弼の功罪を、初心者にも分かりやすく解説。毒舌な先輩と、歴史より「馬(桜花賞)」に夢中な巨漢の後輩Kが繰り広げる、爆笑必至の歴史(?)雑学記事。歴史の散りぎわと、馬券の散りぎわが今、交差する……!
万延元年遣米使節団~アメリカ帰りの男が持ち帰った「たった1本のネジ」
エピソードの背景
1860年、日米修好通商条約の批准のため渡米した万延元年遣米使節団(正使・新見正興、副使・村垣範正、目付・小栗忠順の三頭体制)。
小栗は当時33歳、”監察”にあたる目付という役職でした。使節団はアメリカ船ポーハタン号で渡米し、護衛艦として咸臨丸も同行、艦長は勝海舟、乗船者には福沢諭吉もいました。



勝に福沢。新見に小栗…。後の歴史が証明しますが、掛け値なしに錚々たるメンツです。
大きな大きな1本の小さなネジ
視察先はワシントン海軍工廠(こうしょう)。ここで最新の造船技術を目の当たりにした小栗は、日本との製鉄・金属加工技術の差に驚愕し、そのとき記念に持ち帰ったのが、工廠に落ちていたとされる規格化された量産品としてのネジでした。
※工廠(こうしょう)=軍が直営で武器や船を作る工場・施設のこと
ネジに刻まれた国力の差
なぜネジ1本がそこまでの衝撃だったのか、というと——当時の日本ではネジのような精密部品は職人が一つ一つ手作りしていたのに対し、アメリカでは機械で同じ規格のものを大量生産していたからです。
つまり小栗が見たのは「ネジ」そのものではなく、“同じ規格の部品を機械で大量に作れる工業力”の縮図だったということです。
これは今の感覚で言うと、一方は1本1本薄暗い長屋で傘を貼って修繕しているのに、他方では明るく清潔な環境でラインに乗って次々と作り出されるアンブレラ工場くらいの工業力の差と言えるでしょう。



この時の小栗の衝撃は、例えるならお前がめちゃくちゃ頑張り、徹夜で机に向かって紙と鉛筆で夏休みの読書感想文書いたのに
私が生成AIで一瞬で感想文出力しちゃったようなものだな。
しかも、私の感想文の方がよっぽどいい出来だった。みたいな。



なーに!ズルしてんすか!!AIの感想じゃなくて先輩自身の感想で勝負してくださいよ!!
ネジ1本が国家事業を動かした
帰国した小栗は、帰国した小栗は外国奉行に就任。幕府の近代化に向けた動きを、さらに加速させていきます。
ポケットに持ち帰ったたった1本のネジは、やがて幕府を動かす巨大な提言――横須賀製鉄所・造船所の建設構想へと姿を変えていくことになります。
ちっぽけなネジが、国家事業の設計図に化けた瞬間でした。
ですが、小栗が持ち帰った”衝撃”はこれだけではありませんでした。
アメリカで彼が向き合うことになったのは、工業力の差だけではなかったのです。
そろばん片手にアメリカ政府と渡り合った男
ドバドバと流出する日本のゴールド
アメリカで日本との工業力の差を目の当たりにした小栗忠順。
しかし、帰国後に彼が向き合うことになったのは、技術だけではありませんでした。
当時の日本では、開国にともなう通貨交換の問題から、金が海外へ大量に流出するという深刻な事態が起きていたのです。
ことの発端は、日米修好通商条約の締結。
初代アメリカ総領事のハリスとの交渉で、「金は金、銀は銀。同じ種類の貨幣は同じ重さで交換する」という、いわゆる「同種同量交換」が認められていました。
ところが、これが日本にとって、とんでもない落とし穴だった。
一例を挙げると、1米ドル銀貨=一分銀3枚という交換レート。
外国人は、米ドルを一分銀に替え、さらにそれを日本の金貨へ交換することで、金貨を割安に手に入れられる状態になっていたのです。
貿易が増えれば増えるほど、日本の金が海外へ流出していく。
これが、幕府を悩ませる「金流出問題」でした。



ちょ、ちょっと待った――っ!!
なーに言ってんだか、1ミリもわかんねぇっす!!



だろうな。では、お前でも分かるようにみんな大好き『チョコボール』を例に説明しよう。
🔍あなたが落としたのは、金のエンゼルですか?銀のエンゼルですか?
森永チョコボールはおもちゃのかんづめがもらえる事で有名だが、エンゼル何枚必要だか知ってるか?
ガハハハッ!!俺様にその質問は愚問っすわ!!
勿論、金なら一枚、銀なら五枚っすわ!!よろしい。では、いきなり現れた謎の外国人が
「我が国では銀三枚でかんづめデース!」
なんて言っておもちゃのかんづめ持って行かれたらどうする?はぁ!?ふざけんじゃねぇっす!!あと二枚足んねぇだろうがっ!!
おもちゃのかんづめ渡せる訳ねぇだろ!そう思うだろ? だがハリスは「重さが同じだから銀3枚でかんづめ(金1枚分)を出せ!」謎のゴリ押しで無理筋を押し通した。
その結果、外国人は「銀3枚」でかんづめをゲットし、自分の国でそれを売り払って「銀15枚」に増やしていたんだよ。うわっ……! 森永製菓(日本)が大赤字で倒産するやつじゃないっすか!!
つまり問題は、銀3枚で金1枚が手に入ってしまう「交換比率」と、
金そのものが持つ国際的な価値との間に、大きなズレが生じていたことなんだよ。
タフ・ネゴシエーター――ぐうの音も出ない正論パンチ
さて、ここで登場するのが我らが小栗忠順。
「……いや、この交換比率、絶対おかしくね?」
そう勘づいた小栗は、ワシントンで条約批准書の交換を終えるやいなや、アメリカ国務長官カスに通貨交渉を直談判。舞台をフィラデルフィアの造幣局へと移します。
小栗が持ち込んだのは、日本の天保小判、一分銀、そして一分金や二朱銀。アメリカの最新設備で、これらの貨幣に含まれる「本物の金と銀の量」を科学的に分析させたのです。
その結果弾き出された数値が、こちら。
- 一分銀(アメリカの基準):約35.6セント
- 一分金(日本の基準) :約89セント
「ほら見ろ!! 同じ『一分』なのに、価値が全然違うじゃないか!」
小栗はこの数値を突きつけ、猛抗議します。
「ウチの一分銀はただの銀の塊じゃない! 幕府が価値を保証している『紙幣(お札)』と同じ特別な通貨なんだ。
だから重さだけで交換させるのは筋が通らん! 洋銀との交換をやめ、しかるべき価値(90セント=一分金)で交換しろ!」
シビれるのは、ここからの交渉術です。
小栗はアメリカの最新鋭の天秤ばかりで重量を測り、手元の「そろばん」をパチパチパチッ!と弾いて素早く計算。
完璧なロジックと数字を叩きつけ、アメリカ人たちをぐうの音も出ないほど正しさを証明してみせたのです。
この堂々たる姿は現地の新聞でも大きく報じられ、アメリカの技師たちからは拍手喝采。のちに小栗は、畏怖と敬意を込めてこう評されました。
――「タフ・ネゴシエーター(凄腕の交渉人)」
まさに「そろばん片手にアメリカ政府と渡り合った男」の真骨頂です。
……ただし。 ここからが、幕末のリアルであり、小栗忠順という男の凄みと悲哀なのです。
結論から言うと、小栗は交渉に「勝ち」ましたが、制度を「変える」ことはできませんでした。
アメリカ側も「日本の言っていることは100%正しい」と認めざるを得なかった。しかし、だからといって「じゃあ自分たちが損するルール変更に応じるか」といえば話は別です。
さらに決定的な構造上の問題がありました。 そもそも遣米使節団には、この通貨ルールを現場で書き換える「全権委任状(決定権)」が与えられていなかったのです。



はぁ?何も決められないくせにゴネるたぁ、世間じゃウザ絡みって言われてる奴っすよ!
つまり小栗は、 「お前たちの計算はおかしい。日本が損をしている!」という正論を完璧に証明してみせた。 けれど、 「だから今日からルールを変えるぞ」とサインする権限までは持っていなかったのです。
正しさは証明した。だが、壁は破れない。 なんとも切ない状況ですが、ドラマはこれだけで終わりません。
小栗が命がけでアメリカと渡り合っていたその頃、日本国内では、小栗の帰国を待ちきれなくなった幕府がパニックを起こしていました。
「ヤバい! 金が逃げていく! とりあえずコインの金を減らせぇぇぇ!」
幕府は小栗の報告を待たずして、金の量を3分の1に減らした安物のコイン(万延小判)を勝手に発行。海外への金流出こそ止まったものの、今度は国内で記録的なハイパーインフレが発生し、庶民の生活は大混乱に陥ってしまうのです……。
アメリカでは「決定権がない」。 本国では「帰国を待ってくれない」。
そろばんひとつでアメリカ政府をぐうの音も出させなかった男は、両国から見事なまでに梯子を外され、苦い敗北を味わうことになったのでした。



冒頭にも言ったが、小栗をひと言で言い表すなら「持ってない」天才。って表現ピッタリだと思わないか?
横須賀に造船所を作った、後戻りできない賭け
幕府の台所事情は、すでに火の車
遣米使節から帰国した小栗は、その後、外国奉行や勘定奉行などの要職を歴任。
財政や軍事の改革に奔走し、幕府の海軍力強化にも取り組みます。
しかし、ここで大きな問題が立ちはだかりました。
お金がない――。
幕府の財政は、すでにかなり逼迫していたのです。
そんな状況で小栗が打ち出したのが、本格的な造船所の建設でした。
「修理だけでいい」に小栗はNOを出した
当時の幕府内では、
「船を修理できる施設があれば十分では?」
という慎重論もありました。
財政が苦しいのだから、まずは必要最低限でいい。
当然といえば、当然の意見です。
ところが小栗は、ここで引きません。
日本が欧米列強と渡り合っていくには、外国から船を買うだけではなく、自分たちで船を造り、修理し、技術を蓄積できる施設が必要だと考えたのです。
つまり、
「修理工場を作る」のではなく、「日本の造船技術そのものを育てる場所を作る」
という構想でした。
そして、この計画に対して小栗が示した覚悟が、後世まで語り継がれる有名な言葉です。
「土蔵付き売り家」の覚悟
幕府の財政難を心配する幕臣・栗本鋤雲に対して、小栗はこう答えたと伝えられています。
「土蔵付き売り家の栄誉を残す」
「売り家」とは、徳川が政権を手放すこと。
たとえ幕府がなくなったとしても、この造船所を残すことができれば、徳川の最後の仕事として後世に残る。
そんな意味を込めた言葉でした。
さらに小栗には、
「あとは野となれ山となれでは面目が立たぬ」
という言葉も伝わっています。
つまり小栗は、幕府の延命だけを考えていたわけではありません。
「徳川が終わるとしても、その後の日本に残るものを作る」
そこまで見据えていたのです。
フランスの技術を導入し、いよいよ着工
当初、小栗はアメリカからの協力も模索していました。
しかし、南北戦争の影響でアメリカは自国のことで精一杯。とても協力を求めることは難しい状況です。
そこで協力を得たのがフランスでした。
フランス公使レオン・ロッシュの協力を得て、フランスから技術者を招き、ヴェルニーを中心に建設計画が進められます。
そして1865年(慶応元年)、横須賀製鉄所の建設が始まりました。
小栗がアメリカで見た「工業力の差」。
あのたった1本のネジから始まった衝撃が、今度は日本国内に本格的な工業施設を作るという、巨大な国家事業へつながったのです。
そして面白いことに、この施設は幕府が滅びたあとも残りました。
小栗が「徳川の最後の仕事」として残そうとしたものが、本当に次の時代へ受け継がれていった。
ここまでは、見事な成功譚です。
……しかし。
小栗忠順の人生は、ここから一気に雲行きが怪しくなっていきます。
そして、その中心にいたのが――
勝海舟でした。
勝海舟との確執、そして幕府崩壊
「実は、この二人。仲が悪かった?」
さて、⑤では小栗が本格的な造船所の建設を進める一方で、幕府内には「そこまで大規模な施設は必要なのか」という慎重論もあったことを紹介しました。
その慎重論側にいた人物の一人が、勝海舟です。
小栗と勝。
どちらも日本の近代化を考えていた幕臣です。
ところが、「日本をどう変えていくのか」という方法論になると、二人の考え方はたびたびぶつかりました。
そして幕末もいよいよ最終局面。
1868年、鳥羽・伏見の戦いを経て、徳川幕府は崩壊への一本道を進み始めます。
新政府軍が江戸へ迫る中、小栗はここでも簡単には引きませんでした。
小栗が最後に提案した「挟撃策」
小栗が主張したのは、江戸を明け渡す前に、新政府軍を挟み撃ちにする作戦でした。
徳川家の兵力を結集し、箱根方面などから攻めて新政府軍を迎え撃つ。
つまり、
「まだ戦える。ここで戦わずして徳川を終わらせるのは早い」
という主戦論です。
しかし、徳川慶喜はすでに恭順の意思を固めていました。
そして、勝海舟もまた、これ以上の戦火を広げることを避け、江戸を戦場にしない方向へ動いていました。
小栗の案は受け入れられません。
そして小栗は、幕府の方針に従わないとして罷免されることになります。
これが、人生最初の「クビ」。
……といっても、本人からすれば笑って済ませられる話ではありません。
「戦えば勝てた」のか?
ここは歴史愛好家の間でも議論になるところですが、小栗の挟撃策なら幕府が必ず勝てた、と断言することはできません。
ただ、小栗が最後まで「戦ってでも徳川を守る」という選択肢を捨てなかったことは確かです。
一方の勝海舟は、江戸を戦火から救うことを優先した。
同じ幕臣でありながら、
「戦って道を切り開く小栗」と、
「戦わずに次の時代へつなぐ勝」。
二人の考え方は、ここで決定的に分かれます。
そして小栗は、幕府の中心から去ることになりました。
しかし、これで終わりではありません。
小栗は上州へ向かい、静かな場所で新しい人生を始めようとします。
ところが、時代は彼を放っておきませんでした。
1868年4月。
新政府軍が小栗のいる上州へ迫ります。
そして、小栗忠順の人生は、ここで最後の幕を迎えることになります。
なぜ殺された?逆賊とされた最期
上州・権田村での静かな日々
幕府を追われた小栗は、上州・権田村へ移り住みます。
ここで待っていたのは、戦いの準備でも徳川再興の陰謀でもありません。
用水路を整備し、子どもたちのために塾を開く。
小栗は、静かに新しい土地での生活を始めようとしていました。
ところが、新政府側には別の見方がありました。
小栗が農兵を集め、新政府軍への抵抗を企てているのではないか。
そんな風説が広がっていたのです。
そして1868年、ついに新政府軍が権田村へ迫ります。
武装解除に応じた小栗
新政府軍に囲まれた小栗は、抵抗しませんでした。
武装解除にも応じています。
それでも小栗は連行されることになります。
ここから先は、幕末の英雄譚とは少し違う。
あまりにも、あっけない最期です。
取り調べもなく、翌日に斬首
小栗は逮捕され、その後、正式な取り調べや裁判を受けることなく斬首されたとされています。
慶応4年閏4月6日(1868年5月27日)
小栗忠順、享年42歳。
幕府のために近代化を進め、横須賀製鉄所という巨大な遺産まで残した男が、わずか42年の生涯を閉じました。
では、なぜ小栗は殺されたのでしょうか。
なぜ「逆賊」とされたのか?徳川埋蔵金との関係は?
ここで浮かび上がってくるのが、「逆賊」という言葉です。
小栗は最後まで徳川幕府のために働いた幕臣でした。
新政府から見れば、それだけでも警戒すべき存在だったでしょう。
さらに当時、小栗が権田村で農兵を集めているという風説もあり、新政府への抵抗を企てているのではないかと疑われていました。
そして、もう一つ。
後世まで語り継がれるのが、あの「徳川埋蔵金」伝説です。
横須賀製鉄所などに莫大な資金をつぎ込んだ小栗が、実は徳川家の莫大な財宝をどこかに隠したのではないか。
そんな伝説が、いつしか小栗の名前と結びついていきます。
ただし、これはあくまで俗説・伝説の領域。
小栗が埋蔵金を隠したという確かな史実があるわけではありません。
結局のところ、小栗忠順が「逆賊」として処刑された経緯には、幕府側の人間だったことや、新政府への抵抗を疑われたことなど、いくつもの事情が絡んでいました。
しかし、少なくともここで忘れてはいけないのは、
小栗は武装解除に応じた後、十分な取り調べもないまま命を奪われた
ということ。
近代日本の設計図を描いた男の最期は、あまりにも理不尽なものでした。
そして皮肉なことに、彼が「徳川の最後に残したい」と願った横須賀製鉄所は、幕府が滅びた後も生き残ります。
小栗忠順本人は消えた。
しかし、彼が残したものは消えなかった。
ここから先は、「死んでから評価された男」の話です。
死後に見直された評価、そして子孫は今…。
死んだ小栗が、明治日本を作っていく
小栗忠順は、徳川幕府とともに消えてしまいました。
……と思ったら、そうでもありません。
幕府が滅びた後、新しい明治政府が日本の近代化を進めていく中で、小栗が幕府時代に作り上げたものが、そのまま新しい日本の土台として活用されていくことになります。
その代表が、横須賀製鉄所。
小栗が「徳川がなくなっても残したい」と考えた施設は、明治政府に引き継がれ、日本の近代的な造船・製鉄技術を支える重要な拠点となりました。
つまり小栗は、自分が生きている間には完成した日本を見ることができなかったのに、自分が描いた設計図の上で新しい日本が作られていったのです。
後世には、こうした小栗の先見性を評価する声も現れます。
大隈重信も、明治政府が進めた近代化政策は、幕府時代に小栗が進めていた政策を引き継いだものだという趣旨の評価を残しています。
さらに有名なのが、東郷平八郎の逸話。
日露戦争で日本海海戦を勝利に導いた東郷が、その礎には小栗が建設した横須賀の施設と人材育成があったとして、小栗への感謝を語ったと伝えられています。
……なんということでしょう。
小栗、死んでからめちゃくちゃ評価されてるじゃないか。
話を上手く展開させるサイダネを飲んだ後輩K



茶々入れる間もなく、一気に聞かせてもらいましたわ!
仮に志半ばで斃れたとしても、死後の評価でその人間の価値って見えてくることもあるんっすね!



ほう!いつもは私のウザったい長話を半分寝ながら聞いてるくせに今日はちゃんとよく聞いてたな!
やっぱり同じ「逆賊同士」何か感じるところあったのかな?(笑)



「逆賊兄弟!」みたいに言わんで下さいっ!!
しかし、俺には「小栗忠順はこうすれば良かった」ってとっておきのアイデアあるんすけど聞いてもらえますか?



冒頭でこう言ったな。
残念ながら時代を動かす政治力には恵まれなかった――。
時代を動かす武力にも恵まれなかった――。
色々恵まれてなかった天才をいかにして救うつもりなんだ?お前のアイデアを聞こうか?



『サイダネ』っす!!
先輩?前にジャンプでやってた『花さか天使テンテンくん』って覚えてます?
あっ!天使って言ってもさっきのチョコボールのエンゼル関係ないっすよ?
🔍サイダネとは何ぞや?
【花さか天使テンテンくん】
- 作者: 小栗かずまた
- 掲載誌: 週刊少年ジャンプ(1997年11号〜2000年30号)
- 単行本: 全17巻(ジャンプ・コミックス)
- メディア展開: 1998年〜1999年にフジテレビ系列でTVアニメ化(全43話) 日本アニメーション
あらすじ・設定人間は生まれるときに神様から「才能の種(サイダネ)」を授かるはずが、見習い天使テンテンくんのドジ(ペッとはき出した梅干しのタネとすり替わった)のせいで、何をやってもダメな小学生・桜ヒデユキはサイダネを持たずに生まれてしまいます。
神様から天使の輪を没収され天の国を追放されたテンテンくんは、ヒデユキに本来与えられるはずだった「本当のサイダネ」を見つけるため、地上でさまざまなサイダネを試しながら騒動を巻き起こしていきます。



先輩!えらく熱入れて解説入れてた所に茶化すようなこと言っちまって…。
さーせんっ!!



お前、狙いかマグレか知らんけど凄いなっ!!
今まさにお前が話した『花さか天使テンテンくん』の作者小栗かずまた先生こそ、小栗忠順の子孫なんだよ!(玄孫)
小栗忠順物語〜ボクのひいひいおじいちゃん〜
伝記漫画というジャンル自体は、世の中に山ほどあります。
でも、ちょっと考えてみてください。
「その主人公の玄孫が、自分の先祖の伝記漫画を描く」
そんな作品に、あなたは出会ったことがあるでしょうか。
小栗忠順の玄孫にあたる漫画家、小栗かずまたさん。
代表作は『花さか天使テンテンくん』。90年代の『週刊少年ジャンプ』でギャグ漫画を描いていた、その人が2026年、意欲作を世に放ちました。
タイトルは、
『小栗忠順物語〜ボクのひいひいおじいちゃん〜』。
サブタイトルの「ボクのひいひいおじいちゃん」が、すべてを物語っています。
これは、遠い時代の偉人を第三者が描いた伝記ではありません。
小栗忠順の血脈を受け継ぐ子孫自身が、その人生を物語にしている。
しかも監修には、小栗忠順研究の第一人者・村上泰賢氏、幕末歴史考証の大家・大石学氏。
「子孫だからこそ描ける物語」と「専門家による歴史考証」が組み合わさった、なんとも異色の伝記漫画です。
そして、ここで小栗の最期を思い出してほしい。
権田村で新政府軍に捕らえられ、十分な取り調べもないまま命を奪われた小栗忠順。
まさか自分の玄孫に、約160年後こんな形で“復活”させてもらうとは、本人も想像していなかったでしょう。



先祖の伝記を子孫が描くって、よく考えたら凄い話っすね。



うむ。しかも、お前が突然「サイダネ」と言い出したおかげで、こんなところまで辿り着いた。



俺のサイダネ、もしかして「話を変な方向に持っていく才能」だったんじゃ……。



お前のは「ごっつあんゴール」のサイダネだな。
こうして見ていくと、小栗忠順という男は、死んでから160年近く経った今も、まだ新しい物語を生み続けている存在ですね。
編集後記:小栗忠順という「持ってない」天才を掘り当てて~
『逆賊』という言葉をよくよく考えてみると、小栗忠順は一体何に対して逆賊だったのであろうか?新政府に対しての逆賊?
彼の最期を思い起こすに逆賊には当たらないと私は考える。
それどころか主語を『日本』に持って来ると逆賊どころか『忠臣』もっと言うなら『功労者』といえるのではないだろうか?
綺羅星の如く多士済々な幕末維新の偉人たち――。その中において、決して目立つとは言えない『持ってない』天才——。
この地味な天才を掘り当てて、彼のエピソードを掘り下げられた幸運な私の持つサイダネはもしかしたら―――。
『徳川埋蔵金発見の才』
なのかもしれない。
(了)



